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| 14頁 店売り用洋菓子を教える洋菓子講習会を開催 目次に戻る
愛知県菓子工業組合(理事長内田栄一氏)では9月28日、県菓業会館において洋菓子講習会を開催、当日は組合員68名が参加した 講師は洋菓子でテレビチャンピオンにもなった木山寛氏(大阪ジョエル)を迎え「店売り用洋菓子」を教えた。 メレンゲの「ムラングフランセーズ」、紅玉りんごを使った「ポンムカルヴァドス」、黒糖や和三盆のロールケーキ「シロジョエル」など6種類を学んだ。 15頁 明日を夢見て 後継者は語る 目次に戻る 今どこにいっても、歴史のあるお店が廃業に追いやられています。販売不振が大きな要因ですが、後継者不足も別の大きな要因でもあります。しかしその片側で、意欲あふれる後継者が家業をになって頑張っていることも事実なのです。 県菓子組合員の中にも後継者に恵まれたメンバーが少なくはなさそうです。今回この厳しい世情の中で、けなげにも家業を継ぎ、より大きな夢に向かって頑張る彼等に、今思っていることがら等を伺ってみました。
「素朴さを大切に」 豊橋生菓子支部 餅 昌 石本雄一様 お菓子屋になって7年、やっとこの頃仕事(お菓子作り)に自信が持てるようになりました。学校を降りて郵便局員になり、しばらくして家業のお菓子職人に方向転換でしたから。 現在「餅昌」といいますが、昔は「お福餅」といい、旧国道に添い橋のたもとに茶店風のお店を出していました。交通の要の処にお店が有ったのです。 当時豊橋は繭の街で、近在の農家が繭を大八車に積み、取引所に降ろした後でお店に寄っていかれました。お客様のお求めは「お福餅のういろ」、今でもういろは当店の看板商品です。時代の流れにより、いささか配合は変化しましたが、根底に有る味へのこだわりは変わりません。今だにお年寄りが当時のことをなつかしがってお店にこられます。 私共が作っているのはういろ、お餅、だんご等の朝生菓子。昔ながらの素朴なお菓子です。単純なお菓子だけにごまかしはききません。 新たなお菓子を作っていこうとも考えています。しかし、現行で充分忙しく、新しいことに取り組むゆとりが有りません。当面は、いい素材と手間暇をかけて御支持に応えて行くしかないかなと思っています。 「地域の人たちと交わって」
「和菓子屋になる」こんなことは考えずに、高校大学へと進み、一般企業へも就職もした。東京でのサラリーマン生活が二年経った時、 「半田に帰りたい」と思い、帰るなら後を継ごうと思った。 「後継者」なんてことは深く考えずに帰ってきた。 岡崎で5年間の修行を終え、実家に戻り8年。厳しい現況の中、自分の選んだ道が正しかったのかどうかは正直わからない。ただ、和菓子屋になったから、地元の人たちとの「縁」が広がったことは確かであり、自分自身の財産になっている。小学校低学年くらいのお子様が、「ここの饅頭がおいしい!」と言ってよく来てくれる。自分で作った物が目の前で売れる楽しみは、大企業では味わえない楽しさである。
名古屋生菓子支部 小ざくらや一清 伊藤高史様 創作菓子を手がける若手のホープの一人「小ざくらや一清」の伊藤高史は、京都、大阪での8年の修業を終え、豊臣秀吉の生誕地、名古屋市中村区の創業100年を来年迎える干菓子専門店「小ざくらや」に戻り家業に就きました。自店での仕事の間、機会あるたびに他店の商品などを見て自分の進むべき道を考えるという、若き悩む日々を送りました。そして、他店では製作されていないお菓子をと思い、新しい発想でのお菓子つくりへと進みました。その頃、若き氏は、商品の試作など大変楽しく、時間を忘れ、寝不足になることもしばしば。今思うと、とても楽しい時期だったそうです。 また、同時期はパソコンの黎明期で、修業先(大阪、青木松風庵)での経験を生かして、いち早く取り入れ、ホームページを作成しました。それを通じて、消費者に知られ、マスコミからの取材へと繋がりました。このことは、氏が実行した中で良かった事の一つだそうです。各シーズンには、新作の創作菓子が次々とお店を飾り、お客様の期待にも応えております。 現在は、縁あって、発展著しく、競争が激しい名古屋駅周辺百貨店に五店出店され、お菓子の個性を十分に出し、美食家のお客様の支持も得られ盛業されています。今秋には、強力なブレーンの力を得て、本店を移転、新装開店し、今までより広いスペースで、自由にお菓子を表現する場所が得られたことがとてもうれしいとおっしゃっています。これからも「お菓子は、楽しく食べて、幸せ。だから楽しく、おいしくつくらなきゃ」というコンセプトで新しい創作菓子を作りたいと意欲満々で、元気いっぱいの若手菓子職人でした。 愛知県菓子工業組合・広報委員会 委員長・森清次
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