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■全菓連 理事長 岡本楢雄
![]() 日露戦争から百年・敗戦から数えて60年 ・立派なリーダーの出現を望む 二〇〇五年明けましておめでとうございます。皆様お揃いで新春をお迎えになられたことをお慶び申し上げます。平素は格別のご支援・ご助力・ご協力をいただいておりますことに改めて厚くお礼を申し上げます。 今年は、かつてアジアの一島国であった小国の日本が大国のロシアを破って、世界列強の一つに加わることが出来た日露戦争から百年目にあたります。 当時の日本は明治維新から四十年足らず、憲法発布から十五年、大型の軍艦を一から建造する能力もなかったそんな日本がどうして勝てたのか。 幸いにして勝利というかたちでポーツマス講和条約が調印されましたが、屈辱条約として非難され、暴徒化し、東京では厳戒令を施行して鎮圧されたのでありました。 「善の研究 」で有名な西田幾多郎先生はこの時三十五歳、弟さんは陸軍歩兵大尉で旅順戦で戦死されたこともあってか、「講和条件を見るに大屈辱なり。償金とれず樺太も半分ゆずり、鉄道も長春とはナサケナキことなり。吁々万事休す」と日記に書かれたそうであります。 しかし陸軍の第三軍司令官乃木大将は大勢の犠牲者を出したのでわが子二人も戦闘に参加させて戦死させ、一万五千人に及ぶ戦没者の遺族にわびられて占領することが出来た二○三高地、この地を得たので旅順港に停泊していたロシア艦隊を撃沈させバルチック艦隊との合流を不能にしたのでありました。 一方海軍は東郷元師率いる連合艦隊も、北海のリバウ港から極東に向けて出撃。ウラジオストックに行くのに日本海を通るか、太平洋を通るか。 東郷長官は燃料が少なくてすむ近道の日本海を通ると判断し、万一太平洋側を通れば燃料がたくさん必要なので石炭を山と積せ待機させられましたが特務艦隊が哨戒していた仮装巡洋艦信濃丸から「敵艦見ゆ」との第一報により甲板上の石炭を全部海中に捨てさせ身軽に早く動けるようにし、Z旗を旗艦「三笠」のマストに揚げ一昼夜の戦闘で十九隻撃沈・捕獲六隻の大勝利を博したのでありました。 要するに東郷・乃木の二将軍のよき指導者に恵まれたからに外ありません。連合艦隊の解散式で東郷司令長官は長い訓示の最後を「古人曰く、勝つて兜の緒を締めよ」と締めくくられましたが、その後の日本政府と軍部は兜の緒を締めるどころか勝利にうぬぼれて驕りたかぶって韓国併合、満州事変、日中戦争・対米戦争になり、未曾有の破滅に追いやったのでありました。 しかし、かの第二次世界大戦の敗戦から六十年、立派な経済大国に成長しましたが、今は平成の不況のまっただなかにあり、立派な日本の指導者の台頭を望むばかりであります。 昨年の事業を振り返ってみますと、先ず、青年部が飛躍した年となりました。全国で四ケ所、ブロック大会が開催され、合計五〇〇人近くの若人が参集しました。 |