視点

特別寄稿 車椅子で園遊会へ(平成27年2月)

人生最後の幸せ

旭日中綬章受賞に続いて、秋の園遊会に天皇皇后両陛下よりご案内をいただいた。前回は平成十五年十月三十日に全国労働保険事務組合連合会常任理事として参向して以来二回目であり、内閣総理大臣主催の観桜会にも、中曽根首相時代の昭和六十二年四月十二日と鳩山首相時代の平成二十二年四月十七日、ともに新宿御苑にお招きをうけ、先の昭和六十二年の中曽根首相の時は家内も一緒に参加させていただいたが、その後は皆私一人の参列となった。今更ながら、妻が亡くなってもう十三回忌も過ぎてしまった時のはやさに、驚くばかりであった。

今回は去る十一月六日赤坂御苑での園遊会にご招待をうけ、度重なる栄誉にただただ感激の極みであったが、九月二十三日午後七時三十分頃、芦屋の自宅で着替えようとしてズボンを片足脱ぎかけた瞬間右側に転倒し、起き上がろうとしても、なかなか思うようにならず、やっと起きあがって一階上の私の寝室まで、痛みをこらえてやっとベッドの上にころがり、明日になればよくなるだろうと一夜を過ごした。

翌朝起きあがろうとしたが起きあがれず、痛さのみを感じたのでどうにもならず、手許にあった携帯電話で息子のところへ電話をかけたところ、直ぐに夫婦二人がやって来て病院へ行かないと駄目だということで、何れ手術もあろうから今まで膝の半月判損傷で、通院をしていた大阪の旧厚生年金病院へ、診察してもらいたい旨、電話連絡で事情を説明したところ、救急車で直ぐ来るように指定をうけた。

早速、芦屋の救急車へ電話をしたが、芦屋市内では駄目かと言われたが、先方の医師の先生の名前を告げ了解を得ているからとお願いをして、救急車の出動を許可してもらった。

十分もかからないうちに到着、担架にしばられて救急車の中へ連れていかれ、息子同乗で大阪の福島区にある旧厚生年金病院へ高速道路で救急受付まで運んで頂いた。

後は病室に入り、直ぐレントゲン撮影をうけ、右大腿骨頚部骨折とのこと、明後日、全身麻酔の上手術して金属板を二枚で補強するとの説明をうけ、手術承諾書に署名した。

九月二十六日手術完了。何の痛みもなく、手術後も痛み止めの注射も一度もうけず、旧厚生年金病院は手術専門病院のため、一ヶ月しか入院出来ず、後はリハビリ専門の病院へ転院するよう言い渡された。

十月二十二日退院、自宅の近くの本山リハビリテーション病院に再入院し、一日三回リハビリを行い、目下リハビリ中であるが、この–病院も三ヶ月までに退院しなければならず、一月の二十日過ぎに、また次の病院へ転院することになっている。

従って十一月六日の園遊会のための上京は歩けず車椅子で参向を許してもらい、全菓連の渡辺部長が付添いということで認可していただいた。当日は病院から介護タクシーで車椅子のまま乗り込み、伊丹空港から羽田まで機内は航空会社専用の車椅子に乗換え、乗ってきた車椅子は手荷物同様の扱いで貨物室に入り、羽田空港到着後、また自分の車椅子に乗換える段どりであった。機内専用の車椅子は横幅がせまく、車輪も大きいものは取り外して、狭い通路も通れるようになっていた。

羽田空港には前述の渡辺部長が介護タクシーを用意して出迎えてくれて、赤坂御苑まで所定の駐車場にとめたままで、渡辺部長が私の車椅子を操作して苑内を散策し、両陛下のお通りなる道に陣どった。

丁度、全国中小企業団体中央会の鶴田会長にもお目にかかれて、私の隣に陣どられた。渡辺部長も勲章受章後の宮中参向の時は、天皇陛下にはお目にかかれず、別の部屋で待機させられていたが、今回は私の後で皇族の皆様にもお会い出来たので、一日中私に付添ってくれた甲斐があったので一安心した。

待つこと小一時間、天皇皇后両陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下同紀子妃殿下、三笠宮家亡き寛仁親王殿下の信子妃殿下、彬子女王殿下と親しくご挨拶をさせて頂いた。信子妃殿下は熊本菓子博以来、初めてお目にかかれた。彬子女王殿下は「伊勢での菓子博を楽しみにしています」とのお言葉に感激した。天皇皇后両陛下ともども皆様御健在で竹の園生の弥栄を願うとともに、国家の平和で隆盛たらんことを期待してやまない。

ご皇族方のお帰りになるまで一部通路を閉鎖されたため、渡辺部長とともにテント内で焼き鳥とジュースを頂戴してまた介護タクシーで羽田まで送ってもらい、帰路に着いた。

渡辺部長に大変お世話になり、今回の園遊会に上京、参向することが出来たことは、もう再びこのような機会はないだろう。一生で最後の想い出に残ることになるだろう。

渡辺部長ありがとう。天皇皇后両陛下と皇族方々にお会い出来て良かったね。全菓連理事長を辞めてまでこんなお世話になるなんて、本当に幸せで感激している。

 全菓連前理事長・岡本楢雄