視点

日本文化 「伊勢神宮の式年遷宮」について思考する(平成26年3月)

古くから「お伊勢さん」と親しく呼ばれてきた伊勢神宮は正式名称は「神宮」である。天照大御神を祀る内宮と、豊受大御神を祀る外宮を中心に一二五社からなり、皇室の祖先をお祀りする神社であるとともに、日本人の総氏神として崇められている。この地に天照大御神が鎮座されて以来二〇〇〇余年にわたり、神宮では一日も欠かさず五穀豊穣と国家の繁栄を願い、瑞穂の国の恵みに感謝するお祭りが営々と続けられてきたが、中でもとりわけ重要なお祭りが神宮式年遷宮である。

式年遷宮は二十年に一度社殿や御装束神宝のすべてを新しくして大御神様に新宮へお遷りいただくわが国最大のお祭りである。

持統天皇四年(六九〇年)以来今日まで一三〇〇年間にわたって古式のままに受け継がれてきた遷宮は、昨年で第六二回を迎えた。

大御神をまつる正宮は唯一神明造といわれる神宮独特の建物は、弥生時代稲を保存した高床式の穀倉が原型といわれている。

遷宮の一三〇〇年をひも解けば、南北朝から室町時代にかけての中断があった。その時には、慶光院の初世守悦が勧進を行って、延徳三年(一四九一年)と永正二年(一五〇五年)の二度にわたって、宇治橋の架け替えに尽力し、三世清順も勧進によって天文一八年(一五四九年)に宇治橋の架け替えを実現、天文二〇年に後奈良天皇からその居室に対し「慶光院」の綸旨を賜り、更に百年余途絶えていた伊勢神宮の正遷宮復興のため多くの戦国大名などに働きかけ、永禄六年(一五六三年)に豊受大神宮(外宮)の正遷宮を一二九年ぶりに実現したがその三年後に入寂。四世の周養も師・清順の意志を継ぎ、続いて皇大神宮(内宮)の正遷宮を目指して勧進を行い天正三年(一五七五年)に内宮の仮殿遷宮にこぎつけた。続いて勧進を行った周養は、織田信長と知遇を得て造替費として銭三〇〇〇貫文の寄進をうけ、本能寺の変で信長が没した後は豊臣秀吉から銭一万貫文の寄進をうけた。これらによって天正十三年(一五八五年)に内宮と外宮同時の遷宮が実現したが、内宮の正遷宮は実に一二三年ぶりのことだった。五世周清が院主であった慶長八年(一六〇三年)と寛永六年(一六二九年)・慶安二年(一六四九年)の正遷宮では、江戸幕府から遷宮朱印状が慶光院に下されるなど神宮と密接な関係にあったが、寛文六年(一六六六年)の遷宮から神宮との関係は薄くなり、寺領三〇〇石を有し江戸時代を通じて朝廷・幕府・御三家からの崇敬をうけたが明治維新後明治二年(一八六九年)に廃寺になった。

又戦後初となった昭和二八年の遷宮では、国家事業を離れた試みに資金調達などを憂慮した画家達らの作品の寄贈があり、遷宮を続けてほしいという先人達の強いメッセージが伝わったのだ。

平成二五年の第六二回式年遷宮に至るまで凡そ三〇ものお祭りと行事が、八年にわたり行われる。平成一七年五月晴れのもと御用材を伐り出すにあたり、山の口に座す神に祈る山口祭が行われ遷宮行事が始まった。その夜には神殿の床下中央にたてまつる心御柱をお祭する木本祭が、山中でしめやかに行われた。神職でも特に限られた者だけが奉仕出来る秘儀である。

六月には緑したたる御杣山、長野県上松と岐阜県加子母で御神木を伐り出す御杣始祭が盛大に行われた。樹齢三〇〇年の御神木は、木曽の山から多くの人々に奉迎され一路伊勢へ最後には伊勢の人々の手により神宮に奉曳された。

九月には御神木を納める御船代の用材を伐採するにあたって御船代祭を斎行、遷宮行事は祈りを重ねながら一歩一歩進んでいった。

平成一八年には第一次御木曳行事があり、伊勢の旧神領民及び全国の崇敬者により御用材を古式のままに両宮域内に奉曳、平成一九年には第二次として第一次同様内宮は五十鈴川を川曳し、外宮は御木曳車で陸曳の行事があり、又平成二十五年には新宮の御敷地に敷きつめる「御白石」を伊勢の市民をはじめ全国からの一日神領民が奉献する「御白石持行事」があった。

昨年の第六二回神宮式年遷宮には総額五七〇億円の経費が必要で、前回一九九三年の約1・7倍。昔は税や寄進に頼ったが、明治以降は国の運営に、戦後は宗教法人になった伊勢神宮の自己資金三五〇億円に加え二二〇億円を財団法人伊勢神宮式年遷宮奉賛会が募財した。

遷宮に必要な御用材は約八五〇〇立方米一万本余。なかには直径1米余り樹齢四〇〇年以上の巨大なものも使用される。今回は全て桧材を使用した先例を見直し、社殿以外の施設部材の一部に限り桧材の代替材としてヒノキアスナロが用いられた。

又今回御用材の約四分の一が、宮域材を以って充てあられた。昔は、神宮備林が木曽の山にあったが、今は国有林となり次第に良材を調達するのが困難となっている。そこで神宮では昔のように宮域林でまかなえるように、大正一二年から二〇〇年計画で桧の造林事業を進め、今回はその宮域材がはじめて使用されたのである。

われわれの家屋でも総桧造りが殆どなくなり、鉄骨・鉄筋コンクリート造りが増えている。宮域林でまかなえることがいづれ不可能な時代が訪れてくるかも知れない。日本文化は必ずしも古代そのままの様相を維持出来ないようになるかも知れない。それを補完するのも文化であり、一三〇〇年の伝統伊勢神宮式年遷宮の永続性を希求し、世界に誇れる日本文化の発揚を国民こぞって支援していきたいと願うものである。

 全菓連理事長・岡本楢雄