視点

白鵬の史上初の九回目の全勝優勝 元大関雅山の十両引退を顧みて(平成25年5月)

日本文化の伝承を忘れないでほしい

 三月二十四日大阪で大相撲春場所が千秋楽を迎えた。横綱白鵬が二十四度目の優勝、これも十三日目に決めた。通算二十四回の優勝は史上四位タイで北の湖と並んだ。又三十七場所連続二桁勝利であり歴代一位の北の湖とここでも並んだ。中日(なかび)の八日目の勝ち越しは二十六度目で今まで最多だった横綱千代の富士を抜いて一位になった。九度目の全勝優勝は双葉山と大鵬を抜いて一位にこれもなった。白鵬が敬愛してやまない双葉山と大鵬の両力士の上に立つことは恐縮ですけど光栄ですと言った如く大変な喜びであっただろう。

 史上最多の優勝回数は大鵬の三十二回、歴代一位となる六十九連勝の双葉山がまだ白鵬より高くそびえている。大鵬・双葉山ともに日本人だ。

 白鵬はモンゴル出身、もう一人の横綱日馬富士もモンゴル出身でともに二十八歳、大関陣四人のうち日本人は稀勢の里(茨城県)と琴奨菊(福岡県)の二人で後の二人はこれもモンゴルの鶴竜とブルガリアの琴欧洲、関脇も日本人の豪栄道とエストニアの把瑠都、小結になってはじめて二人とも日本人の栃煌山(高知県)と安美錦(青森県)、前頭になって三十二人中日本人二十三人、外国人九人となって日本人の方が多くなっている。

 そもそも相撲は日本の国技であり、東京両国には、国技館という名称をもった相撲の土俵のある道場というか相撲場(すもうば)がある。

 丁度この大阪場所の千秋楽で元大関雅山が引退した。雅山は茨城県でホテルなどを経営する裕福な一族の御曹司に生まれたが、小学校の担任の先生に「先生に相撲で勝ったら、焼き肉食べ放題につれて行ってやる」と言われたこの一言で始めた相撲だった。明治大学を中退し、一九九八年名古屋場所で「幕下付け出し」でデビュー、九九年春場所で新入幕、二〇〇〇年夏場所後に昭和以降で最速タイの所要十二場所で大関に昇進し、カド番の二〇〇一年秋場所をケガで休場し、大関から陥落、二〇一〇年秋場所で十両に転落。一九七七年夏場所の大受以来史上二人目の「元大関の十両力士」に、一場所で幕内に復帰したが幕尻だった今年初場所で三勝十二敗と負け越し、今場所再び十両に転落した。

 元大関として歴代最長の六十八場所を務めた。大関経験者として屈辱にも思えるが「家族のためにやっている。テレビで父が働いている姿を見せられる仕事はそんなにない」との信念のもと、昨年三歳の長男に君の夢はと聞いたら「お相撲さん」と答えたということである。自然と涙が出たと雅山はいう。一歳の次男には「自分の姿を鮮明に覚えていてほしい」と、又奥さんは負けたら相撲の話は一切しない。勝っていい思いをさせてやりたかったという。三十五歳になり、大関経験者で十両に落ちた後の場所で十五日間相撲をとり続けたのは雅山だけだった。この雅山こそ日本の国技相撲力士といえるのであろう。

 外国人力士の増加は、日本人が力士になる希望者が少ないのが原因であろう。日本相撲協会の体質にも問題があるのではないか。古いしきたりも近代風に改革してこそ、国技相撲の存在があるように思えてしかたがない。一日本人として一日も早く、番付表から日本人が増えて行くことを切望するのは私だけかも知れないが、日本の相撲も日本の文化の一つであることには間違いないと思う。

 日本人はどうかより一層日本を愛し、世界に冠たる日本文化の継承を忘れないようにしたいものである。

 全菓連理事長・岡本楢雄