青森県レポート

2013.04.15

私たちの町にいらっしゃい

青森県むつ下北

 本州の最北端、青森県の下北半島は、東は太平洋、北は津軽海峡に面し、マグロで有名な大間町からは、遥か北海道函館市の街並みを臨むことが出来ます。

【歴史となりたち】

 江戸時代は北前船の寄港地として発展したところもあり、また、北海道松前との交易も盛んに行われたところもあります。ここ下北の中心地はむつ市でありますが、ここにはかつて南部藩の代官所が置かれ、田名部舘と呼ばれておりました。

 また、幕末戌辰戦争で敗れ、朝敵の汚名を着せられた会津藩士一行がこの地に新天地建設を目指した時期もありました。が、下北の厳しい気候風土はそれを許しませんでした。廃藩置県が行われると、その多くの人々は故郷会津に戻りましたが、一部の会津藩士はここに留まり、現在、その方々の末裔が活躍しております。短期間だったとは言え、会津藩士の残した教育や文化は後の下北の発展に多大な影響を与えました。

 隣の大湊地区はその地形からして、天然の良港であり、戦前は帝国海軍の軍港として北方の警備という重要な任務を担っておりました。戦後は海上自衛隊の全国五つの総監部のうちの一つとして、これまた大きな役割を果たしています。

 昭和三十年代半ば頃までは、道路事情もよろしくなく、特に野辺地以北は発展から取り残されたような感がありました。輸送手段は専ら鉄道が主で、物流が限られており、それ故か独自の経済流通構造であったように思われます。いわゆる地産地消が主体で、それぞれのお店やさんが、それぞれ成り立っていた。そんな状況であり、量販店や中央の有名店などが進出する以前のどこにでもある地方の田舎町そのものでした。

【今日から明日へ】

お菓子司かきもとの菓子 私達、青森県菓子工業組合むつ下北支部は、一市・一町・二村にまたがっており、総人口七万人余りで十数年前までは加盟店が二十店以上ありましたが、組合員数は減少の一途をたどり、現在は十名という嘆かわしい状況であります。

 「お菓子司かきもと」は初代柿本祐治が、大正年間三戸郡五戸から移住し、昭和初期にむつ市新町に移転し、現在に至っております。

お菓子司かきもとの家訓 二代目憲司が菓子箱を背負い、自転車に乗り近隣の町や村に行商して歩いたそうです。今は心もとない三代目、雅仁が饅頭や落雁など冠婚葬祭、注文菓子などを製造販売をして何とか切り盛りをしておりますが、出来れば四代目に繋げたいと思っております。
 (写真は当店の家訓「勤勉努力」であります。)

 下北は日本三大霊場「恐山」を始めとする風光明媚な観光地が沢山あります。また、四方を海に囲まれているような土地で、水産物も豊富であり、活きの良さ、味もまさに「うまいは日本一」だと言えます。

 温泉もあり、人情も厚い、そんな青森県むつ下北。そして頑張るむつ下北支部であります。

 青森県菓子工業組合・柿本雅仁