視点

神々の微笑(平成25年4月)

― 日本の不思議な力 ―

時は安土桃山時代、宣教師オルガンティーノは桜の季節になっても心が晴れない。この国は美しい、気候は温和で人々は親しみ易い。信者の数も増えているのに。しかし、今はアジアのどこでもよい、この国から去りたいとさえと思う。故国ポルトガルのリスボンの港が懐かしい。何故か。この国には山、森、町とどこへいっても何か不思議な力が潜んでいて、どんなに教会を建て信者を増やしたとしても結局、無駄に終わるような気がするからである。

バラの花が匂う南蛮寺の庭内で一人の老人と出会う。この国の霊の一人だと名乗る老人が微笑(ほほえみ)ながら言う。この国には孔子、孟子、仏教などさまざまな文物が入ってきたが、それらは全て日本風に造り変えられる。人々が大日如来の姿に仏陀の面影よりも天照大神の面影を見ているからである。私たちの力は破壊する力ではなく、『造り変える力』なのです。キリスト自身もきっとこの国の人に変わるでしょう。お気をつけなさい。お気をつけなさい。

芥川龍之介が「神々の微笑」と題し、今から90年前(大正11年)に上記内容の短編を発表している。デフレに苦しみ、国際化の波浪に翻弄される日本丸にとって今もなお道標となるべき洞察がそこにある。

「造り変える力」とは言うまでもなく、森、草木、石など森羅万象に宿る八百の神々の、万世一系の皇統を戴く日本がもっている不思議なエネルギー。外国からの文物をおそれることなく、ありのままを素直に受け入れる。そして、世態の沿革を経ながら自家薬籠、換骨奪胎していく力である。天麩羅、トンカツ、オムライス、カレーなど豊かな日本の食卓もそうして生まれていった。神棚と仏壇、卑怯を恥じる武士道精神が仲良く同居する日本の神仏儒習合の文化は一神教の外国人からすれば、何とも不思議な世界ということになるだろう。が、世界各地で宗教、民族的な軋轢が強まる今、日本流のしなやかな逞しさに注目する識者もいる(S・P・ハンティントン「文明の衝突」)。

四方を海で囲まれる温暖な気候と稲作共同体社会の中で培われていった共助と感謝の気持ちが日本人の心の原点。古の万葉、古事記などにいう『清き明き心』が理想とされていく。目にふれる穢れ、正直でない心の穢れが否定される。本居宣長の「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」から物事に屈託せず、楽天的で明るく素直な日本人の心が伝わってくる。稲作の普及・祭祀を司る天皇制の下で宮廷文化が花開く。やがて、東日本で開墾によって実力を獲得していった武士階級が時代の主役となる。戦国、江戸期を通じて武士道精神が社会に浸透していく。日蓮、親鸞、道元、一遍などによる鎌倉仏教の広がりもあった。無常、もののあわれを理屈ではなく、目にふれ、耳にひびく事として大切にする。そうした古の心が時代を超え脈々として受け継がれ、長明、兼好、世阿弥、芭蕉などの数奇、わび・さび、幽玄、風雅といった日本固有の文化が生まれていく(唐木順三「日本人の心の歴史」)。

戦国今川氏が東海に覇を立てる前まで館を構えていた中山間の村に生れ、幼い頃には山城に向う騎馬道に筵を敷いて近所の皆で山桜を楽しんだ。春霞の平野の向うに伊豆半島の陰影を刻む駿河湾がぼんやりと白く光っている。七輪を囲み里山の宴が始まる。笑いが弾ける。身上に関わりなく屈託のない近所同士のつき合いが日々の活力を支えていた時代であった。遊山の帰途に七輪を放り投げて男同士の取っ組み合いが始まる。またかと女衆は知らん顔。太平洋戦争の古参上等兵であったS氏がタックルを決めM青年の馬乗りになってポカポカ。勝負あり。棚田を転げ落ちた二人が途中の小川で泥を洗う。二人が夕刻に小宅の台所にきて納めの酒。みかん園の開墾のためのトンネル工事の段取りまではよかったが、草競馬に出走し落馬してしまったS氏が今度はM青年から馬券の損害を攻め立てられる。再び声が大きくなる。心意気が幅をきかす大人の世界のロマン・絆が遊山の1日を通じて子供心に伝えられていく。

安倍政権がスタートして4ヶ月、先月にはTPP交渉への参加が正式表明された。成長戦略の真価がこれから問われる。東日本震災地では復興への懸命な努力が続けられている。豊かな感性と思いやりの気持ち、忍耐力など日本人の心、「造り変える力」に誇りをもって今こそ世界に打って出ていくとの気概が求められる。菓子業界あげてのひろしま菓子博がいよいよ4日後に幕を開ける。

 全菓連専務・矢部正行