視点

ロゼッタ・ストーン(平成25年2月)

―5千年の歴史の扉を開く―

 ロゼッタ・ストーンほどその名を世界に広く知られている石はないかも知れない。縦114㎝、横72㎝m、重さ762㎏の緑褐色の黒曜石。このさほど大きくもない石板に人類5千年の歴史の扉を開く鍵が隠され、未知へのロマンと挑戦の人間ドラマが待ち受けていたからである。上段に古代エジプトの神聖文字・ヒエログリフが、中段にデモティックと呼ばれる古代の民衆文字が、最下段にギリシア文字が刻まれている。紀元前162年頃の製作でギリシア・アレキサンダー王によって開かれたプトレマイオス朝Ⅴ世即位の布告文とされ、大英博物館の至宝として今に神秘的な美しさを漂わせている。

 石板の発見は1799年。ナポレオンのエジプト遠征時にナイル川下流の町ロゼッタで英国ネルソン艦隊の攻撃に備えるために古い城壁を修繕していた仏軍兵士によって偶然見つけられる。エジプト遠征は英領インドへの回廊を押えるという軍事目的のほか、国内的な政治意図の下に決断されたともいわれる。3万8千の兵士のほか、国内選りすぐりの150名からなる学術調査団を伴っていた。学術調査団は軍隊とともに、ナイル川を遡りカイロ、ルクソール、アスワンに至るまで1300㎞を踏査。ピラミッド、スフィンクスほか、巨大神殿や墳墓など古代文明の素晴らしさに圧倒される。膨大なスケッチその他の文物に欧州中の目が奪われる。

 エジプト遠征軍は英艦隊に阻まれて3年で撤退。問題のロゼッタ・ストーンは停戦交渉により英国に引き渡される。そして、同石版の写しが欧州各国に配られ、ヒエログリフ解読競争の火蓋が切って落される。ヨーロッパ文明の祖である古代ギリシアよりもさらに古い歴史を有するエジプトへの憧れ、出エジプト記など旧約聖書との関わりもあって解読レースへの視線は熱を帯びる。

 ギリシア文字が併記されていたことから解読は時間の問題と思われたが、実際には23年の時日を要する。解読作業に先鞭をつけた英国の万能科学者T・ヤング(バネの強さを示すヤング率に名前を残す。)に凱歌が上がるかにみえた。しかし、最終的に勝利を収めたのは仏アルプスの麓の町グルノーブルに近い田舎の小さな本屋に生まれ、幼少時から独学で古代言語を学んでいた若き言語学者ジャン・F・シャンポリアンであった。

 シャンポリアンは近代ヨーロッパの幕開けとなるフランス革命(1789年)の翌年に生まれる。ナポレオンはそのころ仏軍砲兵隊の無名の一将校であったが、軍人として次第に頭角を現す。ナポレオンが皇帝に就く直前に企てたエジプト遠征は少年シャンポリアンの古代への憧れを一層燃え立たせ、ラテン、ヘブライ、アラブ、アラム語など言語学に没頭していく大きなエネルギーとなっていった。

 シャンポリアンの才能を早くから見抜いていた兄のJ・ジョセフは市民派と貴族派が敵対する激動の中、弟を励まし経済的な援助を行う。やがてシャンポリアンはその名を知られるようになり、パリ留学後に単身でエジプトの現地調査に赴く。上ナイルのスーダン国境に近いラムセスⅡ世(紀元前1279―1213年)のアブシンベル大神殿をかつて訪れたことがあり、岩山を穿ち作られた神殿内部に描かれた3千年前の王妃の見事な彩色絵画に圧倒され息をのんだときのことを思い出す。灼熱と戦いながら神殿の中の砂をかき分け腹ばいになって内室に進み古代文字を写し取っている姿、そして1822年に31歳となったシャンポリアンが兄ジョセフの勤め先に飛び込んできて『兄さん、判ったよ』と叫んでそのまま気絶してしまったとされる光景が浮かんできた。

 鳥や動物の記号が混じったお馴染みの神聖文字は長い間謎とされてきたが、ナポレオンのエジプト遠征とロゼッタ・ストーンの発見、そして、若きシャンポリアンの情熱と粘りが重なり合って謎が解き明かされたのである。決め手となったのは民衆文字を解く鍵がアレキサンダー征服王朝のコプト語にあることを突き止めたからであった。そこから神聖文字の無音文字・決定詞が解明され全貌が明らかにされていった(L&R・アドキンス「ロゼッタストーン解読」)。ロゼッタ・ストーンは自然科学上の難問を解くための鍵を隠喩する言葉としても使われるが、そこには天才的な閃きだけではなく、誰もが抱く未知へのロマン、立ちはだかる困難に挫けない粘り、たゆまぬ努力への賞賛が込められている。中東地域に民主化の波が押し寄せている。若者たちの国エジプトはこれからどうなっていくのだろうか。

 全菓連専務・矢部正行