視点

南米の大湿原パンタナールの風景(平成22年7月)

― 黄金の魚ドラードとの出会い ―

万葉にも詠まれ、かつては日本に広く生息していた野鳥のトキは蘇るのだろうか。佐渡での自然繁殖への挑戦が注目されている。野鳥といえば、水鳥を食物連鎖の頂点とする湖沼など湿地の生態系を守るためのラムサール条約が遅ればせながら1975年に発効する。現在、同条約への登録湿原はわが国では釧路湿原、尾瀬など37ヶ所。全世界では1838ヶ所を数えるが、その中でも最大級の大湿原が南米大陸の中央部にある。アンデス山脈とブラジル高原の間に広がるパンタナール平原である。広さは19万5千平方キロと日本の本州の面積にほぼ匹敵。地球最後の生命の水源地といわれている。海抜80~150mのなだらかな平原は、11~3月の雨季には高地の雨を集めて80%が水没する。主な水源はパラグアイ川、ラ・プラタ川となってアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスに至り大西洋に注ぐ。乾季になると水はゆっくりと引いていき、6月~10月には低地の動植物が一斉に息を吹き返し、イッぺーなどの高木は鮮やかな花を咲かせる。

そのパンタナールを1980年代初めに訪れる機会があった。ブラジル高原南部の州都カンポ・グランデから車で1時間ほど走ると大湿原の東端に出る。途中で馬上のガウショ(カウボーイ)が口笛で牧童犬を指揮しながら砂塵を巻上げて牛の群れを低地に移動させている風景に出会う。

やがて、雨季には水没する盛土の一本道を進む。最初に目を奪ったのが、水辺を埋め尽くしている白、赤鷺などの水鳥の群れであった。澄み切った碧空とジャングルの新緑と見事なコントラストをなしている。浅瀬の洲にはジャカレー(ワニ)が昼寝、回りに小鳥たちが遊ぶ。イッぺーのピンクの花が美しい。近くの岩の上には水鳥たちが空中から落下させたおびただしい数の貝殻が散乱していた。更に西へ車を走らせていくと、高床式の住居がポツン、ポツンと見える川岸に出る。待望の釣り場への到着である。幅1メートルに満たない小さなカヌーに勇躍乗り込む。船外機を操る船長とガイドが乗る定員三名の小船は潅木の間を縫ってルアーを流しながらゆっくりと進む。日も高くなり随分と走り回ったような気がするが依然として当たりなし。ルアーを変えてみたらどうかなどと最初の意気込みとは裏腹にぼんやりと水辺を眺めていると、突然、ドカンと釣竿に衝撃が走り、身体が浮き上がる。瞬間に思ったことは潅木の根に針が引っ掛かった、船を止めてくれであった。ガイドが身体を抱きかかえてくれながら、何か叫んでいる。必死になって竿を立てると、10数メートルほど先に水しぶきを上げて頭を振り跳躍している黄金の魚、ドラードの姿が見えるではないか。

興奮で頭をクラクラさせ船着場に凱旋する。体長80センチはある正真正銘のドラードであった。ドラードは全身が美しい金色をしている獰猛なサケ科の魚。釣手にとって闘争的な跳躍の素晴らしさから、現地では『川の虎』とも称されている。まさに僥倖。しかも、ガイド氏の素早い動作のお陰で小船からの転落を免れたというオマケ付き。 釣舟の準備を待つ間のピラニア釣りが効いた。ピラニア釣りはまず水面を竹竿でピチャ、ピチャ叩いて魚をおびき寄せる。水中に動物が落ちたと思って集まるのだ、という。釣針のリードはピアノ線、餌には牛の心臓の切身を用いる。問題は当たりへのタイミング。機を逃すと、餌ばかりか釣針、釣針リードまで食い千切られている。改めて二つの幸運をかみしめた。 ルバング島から帰還しカンポ・グランデ郊外で牧場を営む小野田元陸軍中尉ご夫妻に久しぶりにお会いした。 素質のある子牛を見つけること、 草地の育成は地形に応じたデータが大事であることなど楽しくお話を伺うことができた。

釣り師としても知られた作家、開高健のアマゾン・パンタナール紀行「オーパ!」(1978年初版)は今でも人気であるが、同書は『都会の人間は袋の中の石ころだ。どれもこれも同じだ。』とのサマセット・モームの言葉で閉じられる。便利さ、モノの豊かさが人々の謙虚さを失わせ、傲慢のみを増殖させていくという現代社会の危うさを大自然の中でどう感じ取っていったのだろうか。佐渡の放鳥トキの淡い朱色の翼に新たな共生社会への期待が重なる。

全国菓子工業組合連合会 専務 矢部正行