視点

わが食品業界最高の成功者(平成22年2月)

サントリーの佐治敬三社長さん
ウイスキーをサラリーマンの酒とする

戦後の日本は精神主義を全面的に否定し、物財の数量が多いことが人間の幸せであるという近代思考に徹した。その物財の多さを実現するために近代的な生産方式、つまり規格大量生産に徹すべきだと考えた。お酒も、それを提供するサービス業も規格大量生産型が良い。実はトリスバー、サントリーバーは、規格大量生産型にできていた。それぞれの店は小さく、店主・店員は個性的な味わいを出そうと工夫した。だがそこで提供されるお酒は全国どこでも販売されている規格品、出されるおつまみも大量生産されている規格品、そして店の造りやサービスの仕方も規格化されていた。このことはサービスし易く簡便だったというだけではない。お客の側から見れば、いつでもどこでも慣れ親しんでいる飲食物とサービスが受けられるという安心感がある。規格大量生産ブランドの安心感、経営学的にいえば、「消費の際の意思決定(これを買うと決断するため)のコストが低い」ということになり、バーやスナックの経営者が、トリスバー、サントリーバーの看板を欲しがったのはそのためであろう。

佐治敬三さんはそんな市場の状況を的確に把握し、それを先取りする形でというよりはそれを自ら創り出す形で発展させた。その意味でただの経営者、実業家を超えた文化創造者でもあったといえるだろう。

ウイスキーが「サラリーマンの酒」となったのは、単に時流や好運だけではない。敬三さんの大変な知恵と努力と勇気があった。それはウイスキーを「日本の酒」にすることだった。

もともとウイスキーは、イギリスブリテン島の北部スコットランドの高原地帯に生まれた蒸留酒で弱い香とアルコール度が自慢だった。これに類似したものにアメリカのバーボンやロシアのウォッカ、モンゴルのアルヒなどがあるが、スコッチ・ウイスキーは全世界で愛好されていた「普遍的な酒」ではなかった。

そこでウイスキーを日本人に親しませるには「洋風でありながら日本式に飲める方法が必要、例えばアルコール度十五度程度の日本酒になれた日本人は、お酒を口に含んで舌から歯茎にまで滲み渡らせてから喉に入れる。香とアルコール度の高いスコッチ・ウイスキーを好むイギリス人が、喉の奥に放り込むように入れて喉の奥から全身に広がる香と酒精を楽しむのとは大変な違いだ。

そこで日本人の飲み方にふさわしいウイスキーの製造、飲ませ方の開発に着手。日本人向きの味を求めて、原酒の混ぜ合わせ方即ちブレンドに苦心、一方飲み方では六〇年代にはじまった「水割り」の普及、ウイスキーを水で薄めて日本酒と同じようなアルコール度数にすることで日本的な飲み方をしてもおいしく味わえる工夫だ。外国では「水割り」はあまりありません、他の飲料と混合する場合は、ソーダか味のあるものを使用するのが一般的で、日本でもトリスバーが出来かけた五〇年代には専らソーダ水で割った「ハイボール」だったが水割りになったのは日本人の「飲み方」に適っているからだった。

一方「ちょっぴり洋風」のウイスキーを日本人の日常生活に浸透させる作戦を一九七〇年から「和風にも適うウイスキー」と宣伝した。これは長時間通勤と女性の社会的進出によって家庭でも食事の簡便性が求められ、今までのように専業主婦がいて、勤め帰りの御主人のために燗酒と肴を揃える時代ではない。簡単に飲めるウイスキーが家庭料理にも、家族と行く和風飲食店でも適うイメージにしようとした。これによってウイスキーの需要は一段と飛躍し、十年後の一九八〇年には「サントリーオールド」の出荷量が千二百万ケースに達し、単一ブランドとして世界一になった。

4月号に続く。

全国菓子工業組合連合会 理事長 岡本楢雄