視点

探査機と探査自動車で解明中の火星(平成21年7月)

火星は赤い惑星で地球の外側を公転し、大きさは地球の直径の約半分位しかないが、太陽系の星の中では、最も地球に似た惑星で、一五年毎に地球から約六〇〇〇万キロメートル以内まで接近し、 その度に大変明るく見えるので昔から多くの人が想像しあった。

古代火星は赤い色をしていたのでローマ神話の戦いの神様 「マルス」の星と想像されていた。今世紀初めになって前回で記載した如く、火星に見える黒い線は火星人がつくった運河でないのか、火星には地球よりも高等な生物がいるのではないか、火星人とはどんな人間だろうかと想像をたくましくしていた。

人工衛星による調査も早くから始められていたが、一九六五年アメリカの火星探査機マリナー四号が初めて火星に到達し、月面のような荒涼たる風景の写真が送信されてきた。そこには月と同じようなクレーターがあり、運河のようなものは全く見ることが出来なかった。これは火星表面に近づきすぎたため、運河の撮影も出来なかったのではないかとも思われる。大気も予想よりずっと薄く地球上の一~二%しかないということもわかった。

一九七六年にはバイキング号が火星に着陸し、火星に微生物がいるかいないかの実験を繰り返したが生物がいる証拠を見つけることは出来なかった。その後も何度か探査機が火星へと向かい、だんだん詳しくわかるようになってきた。南極・北極には極冠と呼ばれるドライアイスや氷が積った所があり、クレーターや二一、 三〇〇メートルにも及ぶ巨大な火山や四〇〇〇キロメートルに及ぶ長い渓谷などがあることがわかった。

一九九六年には、火星から地球に落下したと考えられる隕石に三六億年前の生物の痕跡を見つけたというニュースが世界中にひろまった。これは微生物が死滅した後に出来るPAHと呼ばれる有機物が見つかり、細菌がつくる場合が多い磁鉄鉱も見つかった。三五億年前の地球の生物の微化石と似ている微生物の微化石らしきものがあったと報告されているが、現在論争が繰り広げられている。

一九九七年にはアメリカの火星探査機マースパスファインダーが探査機としては二〇年ぶりに火星表面に着陸、自分で動く小型探査車「ソジャーナ」を使って周辺の岩石などを詳しく調べたところ角が丸い石があることなどから、火星では昔大洪水があったことが判明、表面温度が高い時でもマイナス一四度であることも判明した。そこで水も凍ってしまう温度で大洪水はどうして起ったのか。昔はもっと暖かかったと考えられており、地下に水が多くありその上を永久凍土と呼ばれる土と氷が混合されたものがふたをしており、何らかの原因で永久凍土に割れ目が出来、地下にかくされていた水が噴水の如く噴き出て大洪水を引き起したのではないかと考えられている。

二〇〇四年一月四日にアメリカの火星探査機「スピリット」が、一月三十一日に「オポチュニティ」が火星着陸に成功、共に二〇〇三年六月、七月に打上げられた。これらは3台目、4台目の着陸船になり、「スピリット」は直径一六六キロメートルのクレーターの内部に「オポチュニティ」は平原に着陸、以前に着陸した探査機の所より平らであり、大きな石はなかった。現在ロボット自動車といえる探査自動車が動いており、岩の成分を分析し、水がないか調べている。二台の探査機は先々火星の反対側の水があったのではないかといわれている場所に着陸、着陸のため使用したエアバックの布を引きずったところ粘土のように水を含んでいることがわかった。スピリットは岩を磨いて探査中だが最初に探査しようとした岩は何という名前がついたかといえば、サシミとスシと名付けられたが砂やほこりがたくさんついていたので探査はされなかった。サシミ・スシのような形をしていたからだろうか、わからない。

この他一九九六年にアメリカが打上げた「マーズグローバルサーベイヤ」と二〇〇一年に同じくアメリカが打上げた「マーズオデッセイ」。二〇〇三年にヨーロッパ宇宙機構が打上げた「マーズエクスプレス」の三機の火星探査機が火星の周りを回りながら火星の表面の探査を行っている。二〇〇六年三月一〇日にはアメリカの火星探査機「マーズリコネサンスオービター」も火星の周回軌道に入り、同年十一月から火星の大気や気候、地形等を精査している。更にアメリカは二〇〇七年と二〇〇九年にも火星探査機の打上げを計画している。

二〇世紀初頭ローウエル「火星上の生命は、化学の原子論と同じで、証明出来ない」と言ったが今日原子の方は実在が確認されているが、火星人仮設の方は、失望とあざけりのうちに姿を消してしまった。仮設というものは結果で評価されるものではない。多くの人を駆り立てた魅力の程度で評価されるべきだろう。火星人仮設は原子論に決してひけをとらない。無人探査機を火星に送り込んだのだ。やがて近いうちにその全貌が究明されるであろう。その時になれば火星物語も歴史の一齣になってしまい、興味をもつ人も少なかろうと思いつつ書き綴った次第である。

全菓連理事長・岡本楢雄