視点

明治天皇崩御100年(平成24年12月)

御事蹟を偲んで

 今年は明治天皇が明治四十五年七月三十日に崩御されて百年にあたり、明治神宮では崩御百年祭を執行されたので、平成二十五年の足音が後から聞えてくる今、御事蹟をお偲びしたいと思う。
 明治天皇は嘉永五年孝明天皇の皇子として御誕生、封建制度が破綻をきたし新体制を望む声高まる中、孝明天皇が崩御、慶応三年明治天皇は御歳十四歳(数え十六歳)で第百二十二代の天皇となられた。

 伊藤博文・三条実美・坂本竜馬・木戸孝允・大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視・有栖川宮熾仁親王等の維新の人々によって世界を驚倒させた明治維新の大業が成し遂げられ、徳川十五代将軍慶喜は慶応三年十月十四日政権を天皇に奉還、家康以来二百六十五年続いた徳川幕府は幕を閉じた。

 慶応三年十二月九日王政復古の大号令が発せられ、慶応四年明治元年一月三日鳥羽伏見の戦で錦の御旗を掲げた官軍が勝ち、明治元年三月十四日京都御所の紫宮殿で新生日本の指針五箇条の御誓文を神々に誓われ、同日西郷隆盛と幕府軍代表の勝海舟が二回にわたって会見、合意ができ西郷は翌日の総攻撃を中止させ江戸城は戦禍を免れ、その後も東北各地で戦闘が繰り広げられたが函館の五稜郭を最後に戊辰戦争は終り、明治二年幕末以降の戦争で命を落した人々の御霊を慰めるため、明治天皇は東京招魂社現在の靖国神社を創建された。

 明治元年九月二十日明治天皇は京都をご出発、途中沿道各地の高令者や親孝行の者を褒章し、災害にあった者に金品を与えられその総数一万一千人余、十月十三日江戸城にご到着、千年以上都であった京都を離れ、東の京都、東京に都が定まった。

 明治四年十一月二日、新政府のリーダー特命全権大使岩倉具視・副使木戸孝允・大久保利通・伊藤博文等一行六十余名は不平等条約改正の準備と海外視察の命をうけ、米欧十二ヶ国に、一年九ヶ月後に帰国された。津田梅子当時八歳をはじめ五名の女子留学生が米国を目指して使節団とともに乗船した。

 明治五年の下関・長崎・鹿児島から十八年の山口・広島・岡山巡幸まで六度にわたり延二百九十四日全国各地をご覧になられたのは御歴代の中で明治天皇が初めてであった。

 明治四年七月十四日廃藩置県、明治五年九月十二日東京横浜間の鉄道開業式にご臨席、明治六年六月二十四日昭憲皇太后は英照皇太后(明治天皇の御母君)とともに群馬県の富岡製糸場をご視察、明治八年四月地方官会議の設置、明治年間に五回開催された内国勧業博覧会に行幸啓、明治二十二年二月十一日新しく竣工した皇居正殿で憲法発布式、明治二十三年十月三十日教育勅語の下賜、日露戦争直前まで平和を願われ話合いでの解決を念願されたが宣戦が決った御前会議の後ご自身の意思とは違うがやむを得ぬ、これが失敗となれば何をもって祖先の神々に詫び国民に対することが出来ようかとおっしゃったそうだ。内憂外患の明治時代気概をもって生きられた先人達は、東郷平八郎、乃木希典、福沢諭吉、野口英世、森鴎外、北里柴三郎、岡倉天心、与謝野晶子、ウイリアム・スミス・クラーク等枚挙に暇がない。

 日露戦争後、めっきりお年を召されたと伝えられ、明治四十五年七月二十日宮内省からご病気が発表され、国民の祈りも空しく七月三十日御年五十九歳(数え六十一歳)をもって崩御あそばれた。

 大正元年九月十三日東京青山現在の神宮外苑で大葬の儀が行われ、当日午後八時号砲一発天皇の霊柩を乗せた轜車は五頭の牛に引かれて皇居を出発、大正天皇と皇后、昭憲皇太后は二重橋近くでお別れ、轜車が二重橋を過ぎると陸軍の弔砲が轟音を響かせ、東京湾に浮かぶ軍艦の弔砲が響き、東京市内外の寺院の弔鐘が鳴り響き、近衛騎兵隊を先頭に軍楽隊が弔曲「哀の極」(かなしみのきわみ)を吹奏する中沿道のガス灯などが葬列を照らし、道端は奉送の人々で立錐の余地もなかった。午前十一時前ご霊柩が葬場殿に到着、翌十四日午前十一時前に式典終了、二時に青山仮停車場から霊柩列車が発車、各停車場では大勢の人々が最後のお別れを申上げ午後五時過ぎ京都桃山の仮停車場に到着、霊柩を惣華輦(そうかれん)に移し、霧雨の中葬列が陵所へ、七時半過ぎ霊柩が陵所に到着、埋柩の儀が始まりすべての奉葬が終ったのは翌十五日午前だったということである。

 十三日午後八時、まさに轜車が皇居を出発した時、学習院長の乃木希典陸軍大将は妻静子夫人とともに明治天皇の後を追って殉死を遂げた。

 うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり
の辞世を残された乃木大将は明治十年西南戦争で軍旗を奪われて以来死所を求め、日露戦争で多くの戦死者を出した時も責任を感じられていた。

 明治天皇のご聖徳を慕い、神宮創建の国民の声をうけ大正二年十月神社奉祀調査会が発足、大正三年四月十一日昭憲皇太后崩御、全国民追慕の声更に高まり、大正四年六月明治神宮奉賛会が発足、造営事業が始まり、明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする官幣大社として大正九年十一月一日鎮座祭が行われた。

 十万本の献木と十一万人の全国青年団の勤労奉仕、総額一千万円に及ぶ淨財によって明治神宮の代々木の森に明治大帝がご鎮座されて今日に至っている。

 全菓連理事長・岡本楢雄