視点

カタロニアのそよ風(平成24年9月)

― 日はまた昇る ―

イベリア半島のピレネー山脈の南麓に広がるカタロニア。州都バルセロナの西の小高い丘に立つモンジュイック城塞は18世紀のスペイン王位継承戦争で中央政府軍を迎え撃つために築かれたもの。20世紀のスペイン内戦ではフランコ将軍に抵抗する市民の拠点となる。いずれも敵の軍門に下る。やがて冬を迎えようとする真っ青な空の下に地中海が静かにたたずんでいる。南には北アフリカの古代都市カルタゴが、そして、東にはカルタゴを征服するローマが位置する。

5世紀に西ローマ帝国が滅亡するとイベリア半島は、その運命を大きく変えていく。ゲルマン族の西ゴート王国に次いで8世紀には北アフリカからイスラム教徒が侵入、その支配下におかれる。15世紀になるとキリスト教王族によるレコンキスタ(国土回復運動)が本格化する。半島西部のポルトガル、中央部のカステーリャ、東部のアラゴンの三王国が中心となって、1492年にはイスラム勢力を一掃。カステーリャのイサベル女王とアラゴンのフェルナンド王が結婚し、スペイン王国が誕生する。ポルトガル、スペインによる大航海時代が幕をあける。

ポルトガルはアフリカ経由のインド航路を開拓、スペインはコロンブスが1492年にアメリカ新大陸を発見する。スペインは新大陸から金・銀を略奪し莫大な富を手にする。フィリップ2世の治世には世界帝国にのし上がる。しかし、放漫財政と産業革命に乗り遅れてやがて、オランダ、イギリスにその地位を奪われる。そうした歴史の流れの中で、カタロニアは独特の光芒を放つ。貿易都市として栄えてきた堅実な経済と自治の伝統、そして、ピレネー山脈の南麓という民族の十字路で培われた自由、進取の気性である。街を行き交う人々の姿も闊達。首都マドリードとは随分と違う感じがする。

びっくりしたことが一つあった。バルセロナの海岸通りに高さ60mの巨大なコロンブス記念塔が建っていた。コロンブスが航海の成功をイサベル、フェルナンド両王に対して最初に報告した場所はバルセロナ王宮。しかし、カタロニアはその時以来、新大陸との交易から締め出されてしまう。何故なら、探検家コロンブスの計画の援助を決断したのが、カタロニアと連合を組んでいたアラゴンのフェルナンド王ではなく、カステーリャのイサベル女王であったからである。新大陸との貿易を認められることになった100周年の19世紀に記念塔が建てられる。かつて14世紀にシシリー島、ギリシャなどを占領し地中海に覇を立てた歴史を誇るカタロニア人の韜晦と意地が巨大な記念碑を造らせたのだろうか。マドリードのコロンブス像と指差す方向が違っているというのも面白い。

新大陸との貿易を認められたカタロニアは経済力を取り戻し、繊維、ワイン製造などの工業化に取り組み、スペインの産業革命を先導する。その一方で、大土地所有制など旧体制を温存させたままの中央集権化には一貫して抵抗、自由な地方自治を求める(「カタロニアへの眼」樺山紘一)。スペイン内戦では独・伊枢軸国の支援を受けたフランコ将軍と最後まで戦う。E・ヘミングウェイの小説「誰がために鐘は鳴る」、地元出身のP・ピカソの絵画「ゲルニカ」が戦争の悲劇を告発する。また、建築家のガウディ、音楽家のカザルス、絵画のミロ、ダリ、ピカソなど、世界の近代芸術に衝撃を与えていったエネルギーが同地にはある。旧市街のピカソ美術館で若き時代の瑞々しい天稟にふれ感激を新たにする。夜半の路地の石畳の上を心地よいそよ風が通り抜けていく。

スペインは目下、EUの政府債務問題の当事国として揺れている。このまま沈んでいくとは考えにくい。1992年にはイベリア半島初となるバルセロナ・オリンピックが開催された。当時中学2年14歳の岩崎恭子が200m平泳ぎで金メダル、女子マラソンで有森裕子が銀メダルを獲得したことなどが記憶に新しい。もう一つ、大帝国スペインの没落の嘆き、旧態依然とした王室と無気力な国民を諧謔とパロディーに仕立てたM・セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」がある。風車に突撃、恋もしつつ遍歴の旅を続けるドン・キホーテが物語の最後にカタロニアに現れる。セルバンテスの希望への隠喩は、経済、政治の混迷が続く私たちにとっても何とも暗示的。甲冑に長槍を抱えた長身痩躯のドン・キホーテが驢馬に跨り、従者サンチョ従えて意気軒昂と夕暮れの荒野をゆく。

 全菓連専務・矢部正行