滋賀県菓子店

2012.05.15

御菓子司 かぎや

悠久の季節の流れと移ろいを和菓子に託す四季折々の機微

若鮎 滋賀県蒲生郡日野町は、戦国の名武将「蒲生氏郷」を生んだ町として有名です。鎌倉時代から安土桃山時代にかけて日野の地を支配していたのが蒲生氏です。その蒲生氏が最も隆盛を極めたのが蒲生氏郷の時代です。氏郷は人質として預けられた織田信長のもとで数多くの戦いに参加し、手柄を立てました。信長が本能寺の変で倒れた後は、豊臣秀吉にしたがい、戦功により伊勢松ヶ島十二万石に転封されました。その後、小田原の陣の戦功により、奥州の抑えとして会津黒川九十二万石に封じられました。こうして、ますます隆盛していくかに見えましたが、病にかかり40歳の若さで世を去りました。

 近江日野商人の発祥は、蒲生氏郷が日野城下に楽市楽座をしき、商工業の振興に力を注いだことに始まります。氏郷が、日野から伊勢松坂、さらに会津へと封ぜられるのに従い商人たちも会津まで従う人や行き来する人も多く、日野と松坂、会津ひいては近江から関東、奥州を結ぶ道が形成されたのです。日野商人は日野の名産品、特に薬を売り歩き、帰郷の際には、その土地の産物を仕入れて帰る「のこぎり商法」で、着実に成長していったのです。江戸中期には、日野商人は全国的な規模で商品流通に携わり、地場産業の振興に貢献しましたが、その根底には商人としての「倹約、勤勉、地域奉仕」といった堅い生活信条がありました。また、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よしの」精神をいつまでも忘れなかった日野商人。それは、今でも日野の町の気風としてもしっかり根付いているそうです。

 また、氏郷は、茶道や和歌をはじめとした文化にも造詣が深く、特に茶道においては、利休七哲に数えられるほどでした。その城下町である日野に和菓子屋が多かったことも肯けます。

 さて、大変前置きが長くなりましたが、今回ご紹介するお店はその日野町で嘉永元年(1948年)創業の御菓子司「かぎや」です。滋賀県菓子工業組合青年部で活躍する、7代目の植田真之介さんを訪ねました。取材をさせていただいた日の翌日が有名な馬見岡綿向神社の日野祭で大変お忙しいところ申し訳なかったが、快く引き受けていただきました。

 代表商品は、近江商人と関係が深い「でっち羊かん」、厳選した近江米を使い、めでたく紅白に彩られた「いが饅頭」、そしてこの季節ならではの「若鮎」などである。

 「うちの若鮎は、なるべく皮を薄く焼いて食べやすくしています。また、この日野の町の四季を大切にする菓子作りをしていきたいと思います。最近はお茶会も少なくなってきたので、その支援としても、もっと喜ばれる特別なお菓子にも挑戦したい」と植田さん。

 二六会などにも積極的に参加し、滋賀県菓子工業組合青年部有志による技術研鑽の為の勉強会を行っているという。ご自身も、一級和菓子製造技能士でもある。日野商人の勤勉さや地域奉仕といった気質はなるほど引き継がれていると納得しました。これからも、勤勉に菓子作りの腕を磨かれ、地元日野の人々に愛され続けると感じました。

 近畿ブロック長・中島慎介

店舗データ

御菓子司 かぎや有限会社かぎや菓子舗
滋賀県蒲生郡日野町大字村井1336