視点

志摩観光ホテルを訪ねて(平成24年4月)

私の小学校の先輩山崎豊子先生の「華麗なる一族」の舞台

山崎先生がご執筆に使われていた机と椅子 伊勢海老のビスク・鮑のステーキの味が忘れられないあの賢島の志摩観光ホテルの「ラ・メール」レストラン。十数年前までは大阪の上本町六丁目の都ホテル二階にあった「ラ・メール」で味わうことが出来たが、今はなくなってしまったので、大阪から近鉄特急に乗って二時間半、丁度東京へ行くのと同じ時間をかけて行くことにした。

志摩観光ホテルは料理の旨さだけではない。映画化された作家山崎豊子先生がこのホテルで執筆された「華麗なる一族」は有名で皆さんもよくご存知だろう。作者の先生が昭和十一年卒業、私が昭和十六年卒業だから五年先輩にあたる。また山崎豊子先生と私とは同じ小学校の卒業であり、先輩であり、私がその蘆池尋常髙等小学校の同窓会会長時代に機関紙として発行していた「蘆池」の表表紙一面に山崎先生の記事を掲載させていただいたこともあるので、一入宿泊するのに足が軽くなった。

部屋の窓から英虞湾を眺めていると、「華麗なる一族」の最初の一節を思い出す。「陽が傾き、潮が満ちはじめると、志摩半島の英虞湾に華麗な黄昏が訪れる。湾内の大小の島々が満潮に洗われ、遠く紀伊半島の稜線まで望まれる西空に、雲の厚さによって、オレンジ色の濃淡が描き出され、やがて真紅の夕陽が、僅か数分の間に落ちて行く。その一瞬、空一面が燃えたら、英虞湾の空と海とが溶け合うように炎の色に輝く。その中で海面に浮かんだ真珠筏がピアノ線のように銀色に燦き、湾内に波だちが拡がる」何という名文だろう。

志摩観光ホテルの社内誌「浜木綿」創立三十周年記念号(一九七七年十一月)を見せてもらった。それによると山崎先生は一九五五年から当ホテルをご利用され、旧館増築後からは東南角の九五〇号室(現在はないそうです)に必ずご宿泊されたとのこと。またその記念号にご寄稿された「わが作品のふるさと」から抜粋してみたいと思う。

「何時間も、何日も、沈み行く夕陽を眺めた。そのあまりにも壮麗な自然の光景を文字にする術もなく、書いては消し、消しては書いて、何日目かに書き上げたのが、冒頭の数行である。この数行を書きえた時の喜びは、今もって忘れられない。華やかに天を眺め、燃えながら沈んで行く夕陽のすがたは、『華麗なる一族』の象徴であり、作品の産ぶ声をそこに聞くことが出来たのだった。こうした長編小説の産ぶ声ともいうべき、冒頭の書き出しを、このホテルで執筆したのは、『華麗なる一族』の場合だけではない。私の処女作『暖簾』(一九五七年)をはじめ、『花のれん』(一九五八年)『女の勲章』(一九六一年)そして最近では『不毛地帯』(一九七六年)の書き出しも、志摩観光ホテルの一室であった」とあった。

又一九五一年開業時の面影を残す旧館で開業六十周年記念特別公開の一部に山崎先生がご執筆に使われていた机と椅子が展示してあったので撮影してきたから掲載することにする。(写真)

東宝映画「華麗なる一族」(一九七三年)越年のシーンはラウンジ「アミー」で月丘夢路・山本陽子・酒井和歌子・中山麻里・香川京子の五人によって撮影された。その椅子で、私の大好きなアイスクリームを食べながら往時をしのんだ。

当館は建築家村野藤吾先生の意匠で、松材の天井。ロビーの大階段・飾り棚・フロントカウンター等見ごたえのあるクラシックに息づく建築美も堪能出来た。村野先生は日本を代表するモダニズム建築の巨匠で、今はなき大阪御堂筋・心斎橋筋に面するそごう百貨店(一九三五年)・新歌舞伎座(一九五八年)・重要文化財に指定された数々の作品を残され、日本芸術院賞(一九五三年)・日本建築学会賞作品賞(一九五四年・一九五六年・一九六五年)・藍綬褒章(一九五八年)・文化勲章(一九七三年)・米国建築家協会名誉会員(一九七〇年)・日本芸術学会建築大賞(一九七二年)・早稲田大学名誉博士号(一九七三年)等数々の栄誉に浴された日本の建築設計家であった。

念願のビスク・鮑ステーキ・鮑カレーライス等を味わったが、昔の味そのまま、一向に変らないのがよい。伝統の技術を継承しているに違いない。半世紀を越す年代の変化に、負けずかたくなに守る味の神秘と言うべきか。わが菓子業界にも共通した伝統の技を感じた。又行きたい。食べたい。この思いを胸一杯に志摩観光ホテルを後にした。

 全菓連理事長・岡本楢雄