岐阜県菓子店

2012.03.15

御菓子所田の下(飛騨市古川町)

飛騨古川と私の名古屋

焼山登山 飛騨古川は、岐阜県でも最北部に位置し、岐阜県庁までは2時間30分、富山県庁迄は1時間30分もあれば充分に着く事が出来る、小さな中山間地の町です。

 北アルプスを望みながら、自然環境に恵まれた静かな、時計がゆっくり廻る町です。春夏秋冬がはっきりわかる町だとも思って居ります。冬は寒く、雪が多い(県内でも最も多い)地域です。住む者にとっては、除雪作業を終えてから仕事にかかる、そんな日々が続く毎日です。会話の中に「冬がもう少し短いと飛騨も良い所なんやけどなぁー」。夏は暑い暑いと云っても、1ヵ月過ぎれば秋風が立って、又、長い冬の準備に入る。そんな繰り返しの生活が続いて居ります。

 私が菓子屋を志して、名古屋の「亀末廣」へ修行に旅立ったのは、昭和32年の春でした。戦後復興の真っ只中、名古屋駅から栄町迄の地下鉄工事の最中でした。道路は大きな口を開け、両側には長い鉄サクが打ち込まれる大きな音が、今でも耳に新鮮に残って居ります。その後、名古屋城の天守閣に金色に輝く金のシャチホコが、テレビ塔前から城迄、道中「シャチホコ音頭」を流しながら長いトレーラーで運ばれた事、名古屋三英傑まつりが始まり、立派な太閤舟が大津通りを曳行され、広い電車通りが人波でゴッタかえして居たのが昨日の事の様に思い出されます。

田之下夫妻 又、伊勢湾台風では、テレビ塔が弓の様に風に揺れ、まるでジェット機が飛んでいるかの様な轟音と、玄関の戸が風で内側にそり返り、何人かの仲間と手で一生懸命支え、机等積み上げ、風の強さに恐怖を感じながら、テレビ塔が倒れてきたら、先端部分がちょうど自分達の店先に倒れてくるのではないかと心配でした。栄町附近では街路樹が倒れ、看板が落下したりの程度でしたが、新聞等で市の南部の大災害を知り、余りにも大きな被害に日に日に新しい報道が入って来る度に、自然の力の猛威に驚くばかりでした。

 やがて「東京オリンピック」が開催され、戦後復興の総仕上的な大イベントだった気がします。その頃は、田舎でもケーキが年々売上が伸びていました。大変お世話になった「亀末廣」から洋菓子店に移り、古川に帰り、父の始めた家業について今日に至って居ります。この間、沢山の人達にお世話になり、教えられ、いい思い出を沢山つくる事が出来た事に感謝をしながら、生涯この仕事を通じて、地域の人にとって必要な店でありながら、少しでも役に立つ事が出来たらと日々頑張っているこの頃です。

 可愛い孫にも恵まれ、孫の顔を見て居る時が一番気持ちの安らぐ時です。少しはゆっくりしたいと思いながらも、忙しさに追われ、健康である事に感謝をして居る今日です。

 岐阜県菓子工業組合・田之下信義