岐阜県菓子店

2011.10.15

― 事業継承 ―

問題を乗り越え、一歩一歩前進

商品の一部 昭和28年に父親 (現会長) が、 今で言う脱サラをして商売を始めた。 兄弟が多く、 生活していく為に商売をしようと考えていた。 戦後まもなく、 甘いものが贅沢品で希少な事、 近くに各務原というサツマイモの産地があり、 水飴工場があった事、 すでに岐阜市にも多くの飴屋さんの先輩方が、 商売を始めて見えた事などの理由で、 飴菓子製造なるものを始めたと聞いている。 この年に私が生まれたので、 会社の成長と共に年を重ねています。 小さな頃から 「家業を継ぐものだ」 と、 思っていたので大学を卒業後、 人手も足らないということで、 すぐに会社に入りました。 その頃は、 父親の研究熱心、 仕事一筋の苦労が実り、 ヒット商品にも恵まれ、 又、 オイルショック、 バブル時代などを経て、 お陰様で商売も順調に伸びていた時代だったと思います。

 平成5年に父親が、 軽い脳梗塞で倒れ、 それを機に潔く社長職をあっさり退任して、 周囲もびっくりしたものでした。 突然でしたので、 営業ばかりしていた私は、 何にもわからず社長職に就くことに……。 大手企業であれば、 よく言う 「帝王学」 でもしっかり学んでから交代と言うことであろうに。 時は、 経済成長が進み、 構造が変化し、 流通も変化し、 消費者の噌好も大きく変わり始め、 大きな転換期を向かえていたため、 経営と戦略の両方で苦労をしました。 幸いに、 しっかりとした土台を残していってくれたお陰で、 何とか乗り越えることが出来ました。

新工場 平成12年頃には、 「旧工場ではこのままだと5・7年後には商売を継続することが難しいのではないか?」 と、 考えるようになり、 思い切って平成16年8月に、 美濃加茂にHACCP対応の工場を造り移転しました。 まさに、 現在我々食品業界に消費者は、 安心・安全な商品作りを求め、 企業のコンプライアンスを求められる時代になっております。

 今後、 石油製品の高騰による原料の値上がり、 資材の値上がり、 原料の不足などの問題が次から次へと出てきますが、 確実に一歩一歩前進していく所存です。

 今後とも皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げます。

 そんな会社も、 今年で私と同じ歳で55年 (55歳) を迎えようとしています。

 大阪屋製菓株式会社 (美濃加茂市蜂屋台1丁目1-1)・沢田誠

 

追伸

小森 文夫
岐阜県菓子工業組合理事長

 美濃加茂ICの出口から7分ぐらいの所に大阪屋さんの新工場がありました。 工場の中を二階から見学できる様になっており、 小学校の子供達が、 よく見学されるそうです。

 飴やドーナツが沢山できてくる様子は、 壮観です。 2000坪の土地を購入され、 工場を建て機械設備され、 3㌧の水飴を毎日こなされるとの事。

  「二代目の誠さん、 頑張ってるなあ!」 と感心いたしました。 「父は3年半の間に、 新工場へは3回位お客様を連れて来ただけで、 殆ど来ません。」 と誠さん。 おそらく 「口を出してはいけない」 との思いで、 我慢しておられるのでしょう。

 皆様も一度見学されるといいですよ。