視点

よくやった「なでしこジャパン」(平成23年9月)

―世界の頂点に―

二〇一一年サッカー女子W杯で日本代表の「なでしこジャパン」が世界一位を誇るアメリカを破って勿論初優勝した。おめでとう。

今から九年余前の二〇〇二年六月二六日私の妻がサッカー男子W杯をテレビ観戦しながら私の帰宅を待ちつつ心臓麻痺で亡くなった。私の少年時代は戦時中でサッカーと言わず蹴球と言った。試合中長時間走り続けなければならない球技だったので、一向に見向きもしなかった。しかし妻が亡くなってからサッカーに少し興味がわき、時間の合間にテレビ観戦するようになっただけである。

女子のサッカーすらあるのも知らなかった私だが、新聞のスポーツ欄に「なでしこ」の文字がいやという程目にとまるようになり、記事を読むようになった。二〇〇〇年のシドニー五輪への出場権を逃した時は、選手達はこの世の地獄を見たのであろう。宣伝効果も薄れたこともあって、シドニー五輪への出場が出来ないことが決った一九九九年限りで、プリマハムや松下電器が国内リーグのクラブ経営から撤退を決めた。二〇〇〇年の観客動員数も過去最少の一試合平均一八〇人まで落ち込み、日本の女子サッカーは存亡の危機に陥ったのである。

今でも殆どの選手は働きながら練習や遠征をしなければならない。最年長のGK山郷のぞみさんは、「昼に仕事をして夜に練習するのが当り前で、プレーする場をいつ奪われても仕方がないという危機感は常にもっている」ということらしい。誰もが認めているチームの大黒柱で、今回も得点王に輝き、最優秀選手に選ばれたMFの澤穂希さんも例外ではない。今季日テレからプロ契約の打ち切りを告げられて、INAC神戸レオネッサに移籍したのだ。みんなサッカーが大好きだから逆境であっても続けられたのだ。代表メンバーの選手もそんな環境の子ばかりなんだ。

どんな苦しいなかでも何とかプレーする機会を確保出来てきたのは「なでしこジャパン」が活躍してきたからである。二〇〇四年のアテネ五輪で八強、二〇〇八年の北京五輪で四強と段々と階段を昇りつづけたことによって、女子サッカーが注目を浴びてきたのだ。

こうした過去を乗り越え、大先輩達に感謝する選手達は悲壮な決意をもって国際大会に臨んでいるのだ。決勝戦でアメリカに勝った時のMF宮間あやさんの第一声は「ほっとした」だった。「W杯にかける思いは、選手それぞれに違うだろうが、日本女子サッカー発展のために頑張る気持は同じだった。」と振り返って話した。

先輩への感謝の気持は、将来の日本女子サッカーに対する使命感でもあり、サッカーをやっている子や未来にサッカーをする子を増やしていきたいと夢を選手達が語れば、佐々木監督も「楽しいからサッカーボールをけろう。もっと『なでしこジャパン』や国内リーグを注目し応援してほしい」と呼びかける。

国内の「なでしこ」リーグは二四日にリーグを再開する。女子サッカー人気を一過性のものに終わらせないためにも、リーグでどれだけ観客動員数増につなげ、ファンを定着させるか、選手も監督も一丸となって、使命感と覚悟をもっている。

一九八一年に初めて国際Aマッチに行ってから三〇周年の節目の年に世界一という大きな花を咲かせた。次は来年のロンドン五輪で更なる大輪の花を咲かせてほしいものだ。

振り返ってみて、常にアメリカに先取点をとられ、前半は〇―〇、後半戦は後で追い付き、延長戦も先取点をとられ、後で追い付きPK戦でも最初の第一球だ。GK海堀あゆみさんの横とびした足でけったのか。それとも当ったのかは判らないが、見事にはね返したあの技は、午前三時から六時過ぎまで眠らずに見ていた私を大いに感動させてくれた。

執念というか、必勝の信念というか、日本女子に大和魂が沁みついていることを感じ、日本の将来に大きな夢を抱かせてくれたこの「なでしこジャパン」に大きな拍手を送りたい。

政府も8月2日、国民栄誉賞を授与されることを正式に決定し、喜ばしい限りである。

 全菓連理事長・岡本楢雄