各地の菓子店探訪
京都府菓子店の投稿

京都井筒八ッ橋本舗

「こころ」を積み重ねる

「夕子」 まだ花寒い京都、例年であれば花見で賑わうこの季節も震災後の自粛ムードからか少し活気がないように感じる。一刻も早い復興を願う。

 今回ご紹介するお店は、京都土産と言えば「八ッ橋」、祇園の銘店「井筒八ッ橋本舗」です。文化2年(1805年)、初代津田佐兵衞が雑穀商から業を起こし、当時祇園の井筒茶店で人気を博していたのが「八ッ橋」だそうです。なぜ京都土産と言うと「八ッ橋」といわれるまでなったのでしょうか?同社営業部部長 津田陽輔氏にお話を伺いました。

 「京都には八ッ橋を製造する会社で構成する組合があり、現在組合員数15社です。八ッ橋が京土産として人気が出た理由は、いくつかあると思います。まず第一に、京都の文化と共に伝えられてきた、八ッ橋の由来と歴史が関係しています。筝曲の祖、八橋検校が室町綾小路付近に道場を開き多くの門人を育成し、鴨東の花街にも多くの弟子が育ちました。当時市中に多くの煎餅屋がありましたが、その中から検校を慕う心で米を材料とした堅焼きを作り、短冊型に切って反りを付け、琴の型に見立てて売るようになりました。我々もその仲間でありました。第二にその味覚が、多くの人に愛される味だと思います。それは、主原料が、うるち米で私たちが古くから主食としているものです。とり粉に使っているきな粉もなじみ深いものですし、また香料としてニッキが加えられたことによって、当時としてはとてもハイカラなお菓子になりました。第三に、おいしくてころ合いなお値段であるということです。」

 恥ずかしながら八ッ橋の名前の由来も初めて知った。現在よく知られる、生八ッ橋はいつごろから販売されたのですか?

 「五代 佐兵衞が昭和22年につぶあん入り生八ッ橋『夕霧』を発売いたしました。歌舞伎「廓文章」の夕霧大夫に由来します。生八ッ橋につぶあんを入れたのは、井筒が元祖です。」

 なるほど。いま、一般に言うあん入り生八ッ橋、御社の『夕子』が誕生したのは?

 「弊社では、昭和45年に『夕子』を発売いたしました。『夕霧』は一般の手軽な手土産にしては価格が高かったのでもっと大衆的な値段にできないかと考えたのです。その頃、水上勉先生作『五番町夕霧楼』が映画化され、先生にお願いして『夕子』の名を頂戴いたしました。大阪万博で広く認知され大ヒット商品となりました。」

 今回は祇園本店で取材をさせていただいた。お店にはお客様で満員。お店の看板は、徳富蘇峰92歳の書。創業200年を超える歴史と、京都文化との深い関係を感じる。また、八橋検校のこころからはじまり、代々大切にしてきたものづくりやおもてなしのこころ。「こころ」積み重ねる。まさに、八ッ橋のイメージに重なってくる。

 近畿ブロック長・中島慎介

井筒八ッ橋本舗祇園本店

井筒八ッ橋本舗住 所:京都市東山区川端通四条上ル
営業時間:10:00~21:00
年中無休