長野県菓子店

2022.11.17

山あり谷ありの菓子店運営

お客様に愛されるお菓子作りを

峰福堂本舗 私が生まれ育った長野市では、今年、七年に一度の盛儀、善光寺前立本尊御開帳が開かれ全国より大勢の参拝客が訪れました(本来は昨年が開催年でしたが、コロナの影響により、一年延期)。私もこれにより景気が回復してくれればと願い、参拝してきました。

 さて、私の店は現在、南長池という場所にあり、創業は父親が昭和二十七年に善光寺の近くの横町にて餅屋を開店したのが始まりです。育つにつれ子供心に将来はお菓子屋さんになろうと思いました。まあ子供の頃の夢なんて単純明快でしたから(笑)実は私どもの店は2回移転してまして、創業地に16年間、次に長野市高田五分一という場所で、30年間。当社はこの頃、卸売が主で(8割位)今では考えられませんが、当時バイヤーの気分次第で大変な目にあうこともあり本当に苦労したことを覚えてます。いや本当に担当バイヤーが異動するまでの一年間、納品ストップしたこともありました。

店内風景 後々取引先の誤解と分かり、再納入する事になったわけですが。私も若かった事もあり、このままでは危険な状態になると判断し父親に相談してました。何とか店舗強化して卸の比率と自店の比率を逆転する方法がないものかと悶々としてましたが、そんな頃に4年付き合ってた女房と結婚しまして、私の母親と二人でお店に力を入れるようになり徐々に自店比率が良くなってきましたが、なにぶん工場主体の場所なだけに、奥まっていてあまり目立たないお店だったんですが、品数は常に20種類以上は販売してました。

 そんな時、良くして頂いているスーパーさんから新店舗のテナントの話があり、好条件での出店する事ができ、数年後に同じ条件で2店舗目の出店となり順風満帆と思いきや、当時郊外に郊外にと大型スーパーが出店し、本当に世の中、山あり谷ありを絵に画いたように入っていたスーパーが自主廃業に追い込まれ、同時に私共の2店舗のお店も無くなりました。前々から聞いてた話ですがショックでしたね。

 それから紆余曲折を経て父親が71歳、私が44歳の時、世代交代で二代目社長に就任して46歳の時、現在地、南長池に長年の目標だった店舗と外観を重視した住居型工場が完成、移転する事が出来ました。おかげさまで移転から22年がたち、店は家内が、製造は息子二人と私の計四人での小さな菓子屋ですが、これからも地元を愛し、お客様に愛される菓子を作り続けていこうと思っています。ほんとうに人生、山あり谷ありですね。

 長野菓子組合組合長・峯村芳秀