各地の菓子店探訪
東京都菓子店の投稿

東京浅草 株式会社 川小商店 『屋号 おいもやさん 興伸』

「継続は力なり・信は力なり・知は力なり」

大学芋 コロナ感染者数が高止まりしている状況から他県への取材が憚られる為、東京の会社をご紹介致します。今回ご紹介する社長は、東京菓子業界若手の相談役で親会ではご意見番の株式会社川小商店齊藤浩一社長(五四歳)です。

 元々は川越で9ヘクタール(以後ha)程の農地でさつま芋農家と庄屋を営まれておりましたが、明治9年(1876年)甘藷(さつま芋)専門問屋として初代・齊藤小平次氏により浅草駒形にて開業、「川越から来た小平次」という事から「川小商店」とされました。現在は芋菓子製造、さつま芋生産管理や卸と、さつま芋菓子専門店「おいもやさん興伸」という屋号で浅草仲見世、上野アメ横、巣鴨地蔵通りなど都内観光地を中心に直営十二店舗で、大学芋・スイートポテト・芋ようかん等を製造、販売をされている五代目の社長です。

永年培ったノウハウで現在どのくらいのさつま芋畑を管理されているのですか?

 「日本国内で、借りている農地が約40‌ha、契約農家が約20‌ha、海外では、インドネシアで約70‌ha、フィリピンで約30‌ha、合わせて約160ha(東京ドーム約34個分、甲子園だと約27個分)です。収穫されたさつま芋は、千葉県香取市のキュアリング貯蔵庫で温度湿度等を徹底管理して通年出荷出来る様に保管しています」

齊藤浩一社長齊藤社長が、川小商店に入社を意識されたのはいつ頃ですか?

 「子供の頃から『芋屋』と馬鹿にされていたので、全く違う道に進もうと、千葉工大でコンピューターを専攻していましたが、芋から離れて改めて作り手の思いなど考えて、入社を意識しました」

 大学生活の後、齊藤社長はアメリカ留学を経て鹿児島県の山形屋百貨店の系列会社、山形屋産業開発㈱にて(山形屋として鹿児島の特産品を県外に販売する事を第一に考える会社)さつま芋生産管理やさつま芋加工食品の仕事に従事され修行を積まれました。

 そんな齊藤社長が川小商店に入社されるのは、バブル崩壊のただ中ゆっくりとそして長年の不況の始まりで入社し最初に取り組む事になったのは、小売部門の創設と生産管理でした。小売部門の「おいもやさん興伸」では大きな工場で製造したものをただ売るのではなく各店舗でさつま芋を最終調理する事で、店舗で出来立てを販売できるという方法を確立されました。

どうして小売りを始めようと考えたのですか?

 「芋菓子を製造しても、売り先が分からなかったので自社店舗で販売する事にしました」

コロナ禍で観光地では影響は大きかったのでは?

 「小売部門では、コロナにより観光客の激減で売上が三割程まで下がりました。今はコロナ前の六割程まで売上が回復して、新たに外販部を新設してデパートの催事売場など270ヵ所ほどで売上を上げるに至りました。また、独立開業支援事業として、新規で大学芋など製造、販売をしたいお店に調理方法と食材を提供するなどの事業も行っております」

今後の川小商店と齊藤社長の展望は?

 「現在、一般財団法人 いも類振興会の理事をしている関係で、新たに開発されたさつま芋の検証などを担当して、作りやすく美味しいお芋作りのお手伝いをしています。近年では、「紅はるか」や「あいこまち」等の品種の検証に携わりました」

 「川小商店としては、事業成長を考えつつ従業員がみんなで夢を持ち、夢を実現できる場(会社)を目指しております」

事業継承はどのように考えていますか?

 「息子は、卒業後に鹿児島と北海道へ農業の修行に出しました。特に欧米並みの北海道の大型農業を体験させたかったので。今は千葉県香取市にある、農地所有適格法人 株式会社 カワコファームの社長を任せております」

最後に齊藤社長の座右の銘は?

 「『継続は力なり』です」そう短くも即答されたお姿に、私は五代目としての重圧と新たな時代への取り組みのチャレンジ精神を、感じざるを得ませんでした。

 齊藤社長は現在、浅草地域の「子ども食堂」などの活動をされている。多様な経験や人の輪を育む、そういった当たり前の事が出来る齊藤社長に敬意を表して社長の座右の銘に、齊藤社長の従業員への信頼と期待を古代中国の孔子の言葉「信は力なり」と、広い見識とさつま芋などいも類の知識を、惜しげもなく広め可能性を広げようという姿勢を、イギリス哲学者のフランシス・ベーコンの言葉「知は力なり」を添えて題名とさせて頂きます。

 全菓連青年部関東甲信越ブロック長・生田剛

店舗データ

川小商店株式会社 川小商店
〒111-0043
東京都台東区駒形2-1-26
電話 03-3842-8522
https://www.oimoyasan.com