東京都菓子店

2021.08.17

金太郎飴 誕生秘話

今なお手作りで技術を伝える

金太郎飴本店 「金太郎飴」がどのような経緯で作られ、なぜ「金太郎」なのか歴史をお話します。

初代:渡邊菊松が明治の初め頃、露天商として飴を売る商売をしていました。明治時代の飴というのは、いわゆる飴玉で模様が多かったと言われています。その時代に2代目:渡邊謙一郎が、飴の中に絵柄を入れるという「組飴」の技術を習得し、飴を切った時に模様や顔が出てくるような技術を昇華させ、現代にも続く金太郎の顔を完成させました。明治の後期に金太郎の顔の飴を「金太郎飴」として全国で売り歩くようになりました。その当時は全国的に見ても絵柄の入っている飴というのはとてもかなり珍しかったので、飴売りの口上からくる「切っても切っても金太郎」のフレーズのおかげで広く親しまれ、売り歩いた先では良く売れていたと言われています。そのため、飴の中に絵の入っている飴(組飴)=金太郎飴と呼ばれるほど名が通るようになりました。

 なぜ「金太郎」を絵柄に選んだのかという理由については「金太郎」は昔話で強い子供の象徴としてよく知られている人気のキャラクターであったからだと伝えられています。名付けた当時は今ほど豊かではなかったためこの飴を食べて金太郎のように強くたくましい元気な子に育ってほしいという一種の親心のような願いも込めて名付けたそうです。

金太郎飴 金太郎飴の技術と暖簾は時代を超えて引き継がれていき、昭和22年に3代目:渡邊兼守が正式に「株式会社 金太郎飴本店」として会社を設立しました。昭和後期5代目:渡邊鐵男のころになると、組飴の製造技術が向上していき、お客様の希望の絵柄を飴にする、「オリジナル飴」を作れるようになっていきました。結婚式に新郎新婦の顔を飴にする「ブライダル飴」がブームになりました。現在は会社のロゴや学校の校章など色々な絵柄が持ち込まれ、複雑な絵柄にも対応できるようになりました。今回新型コロナウイルスが流行し、イベントの中止や土産物店の売上減などで経営にも打撃を受けました。アイディアを模索する中で、疫病退散させるという妖怪「アマビエ」の存在を知りました。組飴の技術を使い「アマビエ飴」として売り出したところ、テレビや新聞で扱われ、ネットで広がり一時は生産が追い付かなくなるほどの大ヒット商品になりました。

 2代目が身につけた飴づくりの技術は120年近く経った現在6代目である私にまで受け継がれてきました。マニュアルや型などなく、機械技術が進んだ今なお当時より変わらず手作りで飴を作り、人の手で技術を伝えています。飴づくりの技術をさらに向上させ、未来に技術を伝承することが自分の使命だと考え、そのために何ができるかを思い巡らし、日々精進していきたいと思っています。

※「金太郎飴」は当社金太郎飴本店の登録商標です。

 東京都菓子工業組合常務理事・渡邊彰男(㈱金太郎飴本店代表取締役社長)