青年部/お知らせ・活動報告

2020.04.14

第21回全菓連青年部九州ブロック鹿児島大会

仙巌園観光と錦江湾クルーズ

おはら節をみんなで踊る 第65回菓業青年会九州ブロック鹿児島大会・第21回全国菓子工業組合連合会青年部九州ブロック鹿児島大会は、6月8日~9日、ホテル・レクストン鹿児島で開催され約60名の青年部員が参加した。全菓連からは、堤副理事長、松田青年部部長、事務局供田課長が参加した。

 大会では、水野貴之大会会長よりの開会の辞、国歌斉唱、大会綱領唱和、物故会員追悼、来賓紹介の後、菓業青年会九州ブロック正浩一郎会長より「鹿児島での九州ブロック大会の開催は7年ぶりになります。今回のブロック大会のテーマは『九州創生!菓子新時代』としました。菓青会は九州から始まったと聞いていますので、本日は様々な話が出来ればよいと思います」と挨拶があった。次に、全菓連青年部松田部長より「3月にフィリピンのセブ島にある、東洋一大きいと言われているSMシーサイドモールにて、和菓子とお茶をメインに日本文化紹介のイベントに参加しました。和菓子部門を近畿ブロックで主催しましたが、規模が大きい為、全国の青年部に呼び掛けたところ、ブロックの枠を超えた参加がありました。2日間で2万1千人の来客があり、日本の文化が世界から注目されている事は、肌で感じました。又、日本の中でも若い世代にお菓子の世界を広めていきたいという思いで、10年前に全国和菓子甲子園を大阪府生菓子青年クラブで立ち上げました。昨年より、全菓連青年部に主催を移管し、第9回全国和菓子甲子園を開催しました。319作品の応募があり、決勝戦は辻製菓専門学校にて18チームで行われました。結果は、うどんを使ったどら焼きを製作した岡山県の高校が優勝しました。NHK関西で5分間、ニュース放映されたり、各高校の所在地のマスコミにも注目され盛り上がりました。今年も決勝戦は大阪の辻製菓専門学校で8月20日に12チームで行われます。将来的には、決勝戦を大阪以外の場所での開催も検討しています。この事業は、高校生に和菓子を知ってもらう事が狙いで、出場者の大半が和菓子作りの経験がないのにかかわらず、クオリティの高い作品を作ってくれます。高校生だけが考えるのではなく、顧問の先生や地元の和菓子屋に相談するケースもあり、地域のお菓子屋と高校生が結びついてくという意味で重要な事業と考えます。作品を販売したこともあります。一度和菓子甲子園で優勝した作品を販売すると、お店のお客様に"今年も販売するの"という会話も生まれます。手間がかかる部分がありますが、皆様のご協力を賜りたくお願いします」と挨拶があった。次に昨年度開催地の神屋大会会長挨拶、全菓連堤副理事長と鹿児島県比良田理事長より来賓祝辞があった。その後、各菓青会の紹介があった。

大会旗伝達式 本会議終了後、福元メンズヘルスクリニック院長福元和彦氏による「男性が活き活きと生きるために~お菓子と男性医学~」の記念講演が行われた。

 その後、懇親会会場に移り、あまみ紬人(つむぎんちゅ)による琉球民謡と奄美島唄の演奏による歓迎の後、水野大会会長より「鹿児島県という観点から申しますと、大河ドラマや明治維新150周年により観光客が多く、菓子業界も例年に比べて盛り上がりました。1年経ち、今年はそこまで良い話を聞いていません。今後、我々若い世代が、九州の菓子業界を背負っていく事は変わりませんので、お客様にどのように喜んでもらえるか、お菓子の時間でどのように笑顔になっていくのか、思いはせながら、目の前の明るい状況を作り上げ、積み重ねていく延長線上に、明るい未来があると思います」と歓迎の挨拶があった。続いて来賓の紹介の後、鹿児島県洋菓子協会松下会長、全菓連事務局からの挨拶の後、松下前ブロック長より乾杯の発声があった。

錦江湾クルーズ 懇親会では、あまみ紬人による鹿児島民謡の代表「おはら節」の演奏に合わせて、参加者も一緒に踊りながらテーブルを練り歩きしたほか、島踊りの演奏があった。

 最後に大会旗伝達式、次期開催地代表者挨拶、鹿児島県洋菓子協会吉田副会長による中締めが行われ閉会となった。

 翌日のエクスカーションでは、仙巌園観光と錦江湾クルーズが行われた。

仙巌園
 仙巌園は、1658年に19代・島津光久により建てられた島津家の別邸である。その後の350年以上に亘り、歴代当主に受け継がれた。庭は大名庭園で、幕末に日本の近代化の中心となった場所でもある。仙巌園の名前の由来は中国の江西省の竜虎山の仙巌の景色が似ている所から、命名された。広さは約1万5千坪で、東京ドーム位の広さがある。19世紀には外国船が日本近海に現れ、幕末の28代・島津斉彬により、敷地内に最新の工場群が作られ、集成館と名付けた。集成館では造船、大砲、紡績、電信等が行われた。

反射炉
 2015年、日本の産業革命遺産として世界遺産群の一つとして登録された。その中の目玉として反射炉跡がある。石垣の上に20mの塔が2つあり、鉄を溶かして大砲を作っていた。製鉄に必要な耐火煉瓦は薩摩焼の陶工が作り、石垣は城の技術が使われ、内部のアーチ状の部分は石橋の技術が使われた。反射炉はオランダの技術で、当時は鎖国中で外国人の招聘はできなかったため、鹿児島や日本の技術と組み合わせて近代化を進めた点が、世界遺産となった理由の一つである。成功するには5年はかかったと言われている。

近代薩摩焼発祥の地
 薩摩焼は、他の焼き物と同様に朝鮮出兵の際、日本に渡ってきた陶工により始められた。元々は茶の湯の道具として作られ、古田織部から絶賛された。島津斉彬は海外へ輸出するために、欧米の嗜好に合わせた華やかな模様を開発させ、幕末のパリ万博で好評だった。

薩摩切子
 島津斉彬が薩摩焼と合わせて工芸品まで高めたもので、ガラスは集成館事業の一環で、薬品の瓶として作られた。他にガラスは、船の明かり取りにも使われた。薩摩切子は透明と色付きのガラスを合わせてカットすることで、色のグラデーションが生まれ、それが特徴となっている。

示現流体験コーナー
 示現流は「二の太刀は無し」と言われ、最初の一撃にすべてを込める一撃必殺の剣法である。体験コーナーでは、一般の木刀より重い木刀で、横に束ねた木に対する打ち込み体験ができる。

正門
 正門は明治になり作られた。島津の丸十紋が上にあり、両側には桐紋がある。丸十紋は島津家の家紋であるが、最初は丸がない十紋でフランシスコザビエルが鹿児島に訪れた際に、十字架と思って驚いたという話もある。

錫門
 正門は明治に作られたが、江戸時代は海であった。屋根瓦が錫で作られており、錫門と呼ばれている。鹿児島の中心部に鶴丸城があり、殿様は別邸である仙巌園へは船で来て、錫門を通っていた。この門を通れるのは当主と嫡男のみであった。

火山灰対策
 桜島の噴火により、火山灰が落ちてくるため、町内にはごみ置き場とは別に灰置き場がある。黄色の袋が各家庭に配られ、灰はいつでも出すことができる。多い年は千回以上噴火があり、そのたびに火山灰が降るので、鹿児島の天気予報は必ず桜島上空の風向きがあるほど、悩まされている。