各地の菓子店探訪
高知県菓子店の投稿

㈲七福堂製菓

ご兄弟手を取り合って…

㈲七福堂製菓のお菓子 高知市には高知県食品工業団地という団地があります。昭和38年に、国・県等の補助を受け認可設立された場所でございます。全国の中でも、食品を専門にした工業団地としては早い方であったと思われ、今現在でも食品関連の製造業者が20社ほど工場を持っておられます。今回は、その中で営業されている㈲七福堂製菓さんへ訪問しお話を聞かせていただきました。

工場内風景 創業は昭和25年頃、初代斉藤義章氏が高知市桜井町(旧中新町)において、"あめ菓子(干菓子)"等を製造し卸売をしたのが始まりとのことです。昭和28年には「㈲七福堂製菓」を会社組織にして社長に就任されました。高知(桂浜)名物の"五色の石"という飴("桂浜の砂利(石)"をかたどったあめ菓子)を開発し、当時は観光地で大いに売れたそうです。昭和40年代には本社を食品工業団地へ移転。それまで製造していた商品にプラスして本家福田氏より"野根まんじゅう"の秘伝を受け継ぎ独自の工夫も加えてその素朴な味を現在へ伝えております。

 さて、斉藤義章氏は前記で述べた食品工業団地の設立に発起人として大いに尽力され、また当組合にも非常に貢献いただいた人物であります。昭和50年代には組合理事長に就任し組合活動に積極的に取り組んでこられました。

 2代目斉藤章雄氏は新しいものにも挑戦して、"小柚子まんじゅう""栗まんじゅう(四万十栗あん)""芋けんぴ"等の製造を始め、ホテル・キヨスク・空港や各観光地へ販売を拡充しておりました。が、昨年(令和元年)5月に66歳の若さで突然の他界。本人もさぞかし無念な思いであったことと思われます。

ご兄弟で力を合わせる㈲七福堂製菓 しかしながら、ご子息がその思いを受け継がれ3代目社長に兄の健一氏が就任し工場内の製造に忙しく立ち振る舞っておられます。また弟の直樹氏は兄を支えるべく営業部長として営業に励んでおります。ご兄弟は「"のれん"のある菓子屋です。皆様方に教えをいただき、今後とも努力し社員と共に頑張っていきたいと思っています」と謙虚に語ってくださいました。

 ご兄弟が仲良く力を合わせ邁進されることを願いつつ、これからもますますご発展されるようご祈念いたします。今後のご活躍を期待しております。

 高知県菓子工業組合事務局長・森下広和

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