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姫路菓子組合(姫路支部)設立百周年をむかえて

~姫路城とお菓子~

姫路城・白鷺の夢 姫路菓子組合(姫路支部)は大正7年の設立以来百周年を迎えたのを機に、平成30年11月15日(木)に姫路商工会議所にて石見利勝姫路市長をはじめ兵庫県・姫路市・姫路市議会・姫路商工会議所などからの来賓を交え、組合員や賛助会員など八十余名が出席し「組合設立百周年記念式典ならびに祝賀会」を盛大に開催しました。
 姫路市は兵庫県南西部に位置し、南は瀬戸内海に面し北は中国山地を背に気候温暖の地であり、旧国名「播磨」13市9町あり、現在は中核市として人口は53万余人を数えています。

 JR姫路駅と向かい合う大手前通り1キロメートル先には、平成5年に法隆寺とともにユネスコの世界文化遺産国内第1号として登録された国宝姫路城が威容を誇っています。
 江戸時代、関ヶ原の戦いの後、慶長5年(1600年)に徳川家康の女婿池田輝政が姫路城主となり、豊臣秀吉が築いた三層の城などの大改築に着手し、慶長14年(1609年)五層七階の大天守をはじめ三つの小天守を渡櫓で結ぶ連立式天守をいただく姫路城を完成させました。

 江戸時代後期、姫路藩主酒井家歴代当主は教養人であり、茶の湯を好まれたことから姫路城下の文化は大いに発展したが、藩の財政は厳しいことから家老河合寸翁は藩政改革を行うとともに諸国の物産を城下に集積し、商業を盛んにしました。産業振興の一環として菓子作りを奨励、職人を江戸・京都や長崎にまで遣わし菓子製造を習得させました。和菓子作りでは、11代将軍徳川家斉公の息女喜代姫が酒井忠学(姫路藩5代目)に婚入れの慶事に「銘菓玉椿」が誕生し、酒井家の御用菓子としました。明治維新後は一般に買い求められるようになりました。また、長崎に派遣した職人は油菓子などの技術を修めましたが、上菓子以外は白砂糖が使用できないため、黒砂糖や水飴など使い、寺社詣の途路に雑菓子として買い求められていました。

 明治維新となり、酒井姫路藩は幕を閉じ、明治7年姫路城内に歩兵第十連隊の配置にはじまり、明治31年には第十師団指令部が設置され、姫路の町は軍都と化しました。地方よりの面会に訪れ、お土産に菓子を求める方々で賑わい、姫路の町は菓子づくりの店が軒を連ねました。

 大正期に入り、国内のみならず朝鮮・台湾・支那(中国)などに移輸出が盛んとなりました。姫路市の要請により大正7年5月に重要物産同業組合法に基づき、菓子関係者175名による「姫路菓子同業組合」が設立されました。

 大正期より昭和初期にかけ、隆盛を極めました姫路菓子は、先の大戦では姫路市中は焦土と化し、菓子業者は雲散霧消のなか終戦となりました。その後、物価統制令が解除され、姫路市民の甘味渇望で休眠状態であった菓子業界の先輩たちがこの苦難の道を乗り越えられ、再び活況を呈しました。

 平成元年、姫路市制百周年記念に姫路城周辺において「シロトピア博覧会」が開催され、姫路菓子同業組合も協賛し好評を得ました。

 平成20年春には国宝姫路城築城400年記念として全国菓子大博覧会が同城周辺で開催され、92万2千人に来場いただき、大盛況裡に幕を閉じましたが、テーマ作品「姫路城・白鷺の夢」(姫路城の縮尺50分の1)は連日2時間待ちの長蛇の列で人気の的であったことが思い起こされます。

 博覧会翌年の平成21年より毎年秋には大手前公園において、兵庫県菓子工業組合と姫路菓子組合共催で「姫路菓子まつり」を実施しています。なかでも「匠の館」では、県内菓子技能者ならび製菓専門学校の学生による力作の工芸菓子30点ほどが来場者の足を止め、感嘆の声があがります。館内では練り切り菓子作りにも人盛りで買い求める客が絶え間ない状態です。その他、児童絵画など数多くの催しがあります。毎年5日間開催で平成30年に第10回目を迎え、連日好天に恵まれ実り多い年となりました。

 姫路菓子組合顧問・町田榮一

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