群馬県レポート

2018.12.18

御菓子司 海老屋

振り返ってみると…

文明最中 皆様はじめまして。私は上州群馬の高崎市で「御菓子司 海老屋」を営んでおります海老澤と申します。誠に恐縮ですがこの度こちらの紙面に寄稿することとなりました。至らない点ばかりですがご容赦ください。

 まず初めに、今年で5回目を無事に開催いたしました「高崎菓子まつり」にご支援、ご協力をいただいた富岡市長様ならびに市職員の皆様、東日本製菓技術専門学校、高崎商科大学、各種協賛企業の方々、一般の方々、皆様方の熱心なご支援のおかげで今年も笑顔が溢れる「高崎菓子まつり」を滞りなく催すことができました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 私は元々人付き合いが苦手なところもあり、組合の集まりや催し事などにはそれまで一切参加したことがありませんでしたが、人柄が良くて気さくな先輩に声をかけていただいたので、天邪鬼な私も「チョットだけ手伝ってみようかな・・・」と思えたのです。他の人から見れば何てことない事かもしれませんが、私にとっては大きな変化になりました。そんな心持の私が組合を通して皆さんと一緒に「高崎菓子まつり」を行い、そこに足を運んでいただいたお客様のキラキラした笑顔に出会えたことは、貴重な体験になりました。

 ここからはチョット自己紹介を兼ねた自店のことを。

 当店「御菓子司海老屋」は昭和6年、祖父である海老澤政一がそれまでの家業であった穀屋から、いろんな事情がありましてお菓子屋を興したそうです。私は二代目である父「政美」が、私が26歳の時まさかの急死(平成十年)し、何の心構えも無く突然家業を継ぐこととなりました。まさに晴天の霹靂。実は父が亡くなるその時まで、私の本心は家業を受け継ぐ気が無かったのです。私は小さな頃から手先が不器用です。と言うのは言い訳で家業を受け継ぐ自信も覚悟も無かったからかも知れません。そんな心構えでしたので当時は先代の言うことも聞かずただの甘ったれの半人前なのによくぶつかり合っていました。初代である祖父 政一もその前年(平成九年)に亡くなっていましたので頼れる人も、仕事を教えてもらえる人もいなくなってしまい「この先どうしたら・・・」と、不安で逃げ出したくなったのを今でも憶えています。気がつけばそんな時期からもう二十年。私なりにただただガムシャラにやって来ました。幸いにも先代から受け継いだ銘菓二品があります。地元を代表する歌人である「土屋文明」「山村暮鳥」両氏の名を冠した、栗餡と胡麻餡に胡桃を加えた二種類の「文明最中」と、暮鳥氏の自然をこよなく愛した想いに気持を馳せ、今も栽培が盛んな梅、美味しい利平栗もございます。そしてまだ私が幼い頃は酪農も盛んでした。その梅、栗、乳製品のクリームチーズを素材にした焼き菓子三種「暮鳥の里」。両品とも今の素材内容になったのは十三年ほど前に私がリニューアルしました。おかげさまでお客様に大変ご愛顧頂いております。

 天の彼方から見ているであろう先代、先々代は今の私をどうみているやら・・・

 高崎菓子業組合・御菓子司海老屋・代表取締役・海老澤学