和歌山県レポート

2018.10.15

菓子のルーツ「橘の木」

海南市下津町橘本神社

橘本神社境内の1900年前から受け継いできた「タチバナの木」みかんの原木 今から1900年前、第11代垂仁天皇の命を受け田道間守公(たじまもり)は不老長寿の霊菓を求め常世国(中国)に渡り、10余年の辛苦のすえ「橘」の苗を持ち帰るが、前年、天皇はすでに崩御されていた。田道間公は、嘆き悲しみその天皇陵に橘(みかん)を捧げて命絶えたという(西暦71年)。その橘の苗が日本で最初に移植されたのが和歌山県海南市下津町橘本神社「六本樹の丘」で今の、みかんの原種であると古事記・日本書紀に記されています。

 書記には「橘は菓子の長上にして人の好む所なり」とある。平安時代になると、今流の菓子の製造方法が考えだされ、果汁などをもちいるようになったらしい。

 伊勢貞丈の「貞丈雑記」にも、菓子のことが種々記されている。その後、菓子の製造方法が、生活の向上とともに着実に発達し、精巧をきわめるに至った。

 ただ、砂糖の製造方法や利用法が、進歩し、菓子の種類が多様化した現在も、製菓に果汁を必要とするものが相当数あるということは、歴史的にみても興味深い。

 その果物の原点に立つ「橘」を中国から輸入したのが、1900年前の田道間公であった。

 毎年4月初めに菓子祭「全国銘菓奉献祭」を全国各地からお菓子と製造業者が大勢集まり盛大に執り行われ近隣の方々に餅なげを実施し1年間の菓業繁栄を祈願する。又、10月にみかん農家及び関係者が集まり1900年の感謝を込めて「みかん祭り」が盛大に開催される。

 また昨年11月「たけしの家庭の医学」でみかんを毎日3個食べると血糖値を改善する栄養素であるとテレビで全国放送された。

 和歌山県菓子工業組合事務局長・高橋義明