大分県菓子店

2018.01.19

菓子処 いわまる

攻守の使い分け

左から、二代目博一氏・三代目睦弘氏 大分県の北西端に位置する中津市で和菓子店を営む岩丸睦弘氏は、常に明るくポジティブな性格で、並外れた体力と行動力から所属する中津支部や菓青会で自然と色んな役を頼まれるようになり、気持ちよく引き受けた仕事を全てこなしている内に周りから厚い信頼を得て、気がつけば44歳の若さで大分県菓子工業組合の副理事長を任されている。

 そんなエネルギッシュな若き三代目が経営する菓子処いわまるは、博多で菓子製造の修業をした岩丸春二郎氏が昭和五年に創業した岩丸商店の製菓部からスタートしており、日用雑貨等を販売する一方、羊羹、栗饅頭、丸房露、せんべい等を製造販売し業績を伸ばしていった。そんな中、春二郎氏が体調を崩し菓子の製造が困難になったことから、当時、新日鉄に勤めながら製造の手伝いをしていた長男の博一氏が会社を辞め、二代目店主として商店を引き継いだ。その後は岩丸菓子舗として、既存商品に加え朝生菓子等の商品アイテムを増やしたり、農協等から頼まれ近所の直売所へ商品を卸したりと新しいことに挑戦していたが、先代が育てた丸房露を求める声が安定して多かったことから、思い切って人気商品のグレードアップを行うこととし、丁寧に原材料や配合の見直しを行い何度も試作を重ね、納得のいく丸房露に改良した。その努力の甲斐もあって口コミを中心に徐々に評判は広がり、丸房露を求めての来客数は年々増え続け、押しも押されもせぬ岩丸菓子舗の看板商品に成長した。そんな祖父と父が大切に育てた菓子の箱詰め作業を、子供の頃からたまに手伝い、当たり前のように菓子職人の仕事ぶりを見てきた睦弘氏だが、意外にもこの業界に入る前は教師になることを目指し山口大学を卒業後も採用試験に何度かチャレンジしたと言う。しかし25歳の時に中津に戻り、気持ちを切り替え、翌年から博一氏の元で菓子の修業を開始した。一通りの製造方法を覚えたころ、作業効率を上げるために設備投資のことなどで父子ならではの衝突も何度かあったそうだが、文頭にもあるようにポジティブな睦弘氏は決断してから行動に移すまでが早く、父を説得しては必要な設備を一つずつ揃え効率アップに繋げていった。こうして結果を出すうちに信用を得た睦弘氏は、そのうち全てを任されるようになり、34歳で代表を交代し、店舗前の国道拡幅工事等が済んだ後、思い切って全面改装を行い菓子処いわまるとして現在の形にした。商品も設備投資を行ったことで計画生産が可能となりアイテム数は格段に増え客層も広がった。今から約10年前に三代目が考案した「ちびどら」は特に若い人から絶大な人気で、丸房露との二本柱と呼べるまで成長しているとのこと。

 この仕事を始めた時から来店客を大事に考えている睦弘氏は、基本卸売をせず、仕入商品を置かないと決めているため、どの商品も原材料等へのこだわりを持ち、時間をかけて大切に育て上げるよう努めているのだが、これも先代が丸房露を看板商品に育てるまでの過程をずっと見てきたことで培った考えかも知れない。

 工場では現在も二代目夫婦と三代目夫婦の四人で手分けして製造作業を行っていたが、睦弘氏がよく声をかけ、常に明るい雰囲気で作業しているのが印象的だった。たとえ代替わりをしていてもお互いがお互いを尊重し合う関係性から、各自で役割を認識し、それぞれが適所の柱となることで創業から積み上げてきた歴史を家族で支え守っているように感じた。

 大分県菓子工業組合事務局長・早瀬大雄