新潟県レポート

2017.03.21

越後高田の風物詩

川渡り餅の由来

写真提供:もちや菓子店 『カワタリモチヤ~モチヤ~‥‥』『カワタリモチヤ~モチヤ~‥‥』
 毎年11月30日、12月1日の2日間、宣伝カーのスピーカーから聞こえてきます。越後高田(現上越市)の文化と伝統の風物詩です。戦後、『川渡りもち由来』と題し、高田菓子組合が次のようなPR文を出しています。

 《高田地方に12月1日初雪の早暁を破り「川渡餅ヤーイ餅ヤーイ」と声も勇ましく売り歩く風習があります。この起源は今を去ること400年、永禄4年(1561年)越後の上杉謙信公は、甲斐の武田信玄公と年来の雌雄を決せんとして出陣し、千曲川を挟み、謙信は妻女山に、信玄は八幡原に両軍5万余騎が対陣した時、謙信公、戦の前夜、市卒に餅をくばり士気旺盛なる威力を以て折からの濃霧の中、川を渡り旧暦10月10日未明、武田と激戦の末、勝を得ました。

 以来、春日山城下高田地方の住民は謙信公の戦勝と武勇にあやかる様、川を渡る前に食べた餅を十二月一日『川渡り餅』と称して食べ、心身の鍛錬とする行事を残すようになりました。》と…。

 そして、長老(故人)の話によると、昔は寒い北風をついて12月1日の夜明けに「川渡りもちヤーイ、川渡りもちいらんかね…」と叫びながら、子供たちが町の中を走り抜けたものだと…。

 しかし、昭和16年から10年間、店頭から完全に姿を消した期間があった。同氏の日記によると、『申し合わせにより川渡り餅を作らざることとする。売り歩く者一人もなし』と書かれてあり、当時の物資統制の余波が長い風習と名物をなくした暗い時代だったようだ。この「川渡りもちの由来」が書かれたのは昭和30年頃のようだ。

 現在の組合員数は39名、幾多の変遷を経て、アンコロモチの歴史は今もなお続いている。

 因みに、12月1日にあんころ餅を食べる風習は各地にあるようで、呼び名も「かわわたりもち」「かわびたりもち」「かわいりもち」等色々あるようだ。

 新潟県菓子工業組合副理事長・髙橋孫左衛門