各地の菓子店探訪
香川県菓子店の投稿

株式会社こんぴら堂

名物が生まれるまで

灸まん本舗石段や本店 当社の前身はその昔、明和年間(1764年~1772年)頃から代々、金刀比羅宮の参道沿いに旅籠(はたご)を営んでいました。しかしながら当主四代目の時、時流に乗れず旅籠は廃業の憂き目を味わうことになりました。

 その後、代が変わり六代目が心機一転、琴平の地の利を活かした、観光土産品の製造を手掛ける会社を設立しました。

 観光客が多い時代、それなりの業績は上がりましたが、当時のお土産品は粗悪品も多く玉石混交状態。

 複雑な思いがあったろうと思います。

 そんな祖先の思いを胸に、父親と私は従業員、また地域の将来を見据え、こんぴらさんを代表するお土産を作らなければと強く思っていました。しかしながら無から有を生み出す作業は困難を極め、時間だけがむなしく過ぎていきました。

 そんな中、地元出身で新聞漫画やユーモア小説で一世を風靡されていた「和田邦坊」この人に協力をお願いすることにしました。

 ある日、夕焼けで染まる部屋で先生と色々とアイデアを出すうちに、当社原点である旅籠に話しが移りました。

 ご先祖様の始めた旅籠では旅の疲れを癒すため女中さんがお客さんの脚にサービスでお灸をすえていたとの話になったとき、私は思わず「これやっ!」と叫びました。今度は先生が「お~そうか そうか、う~ん…脚灸…お灸…う~ん…灸まん。これでどうだ!」と叫びました。

 当社の看板商品『灸まん』誕生の瞬間です。

 試行錯誤の末、やっとのことで完成した『灸まん』です。

店内風景 こんぴらさんを代表するお土産という作り手の意志を貫く為、ふさわしい場所でふさわしい雰囲気のお店で直売をしなくてはと思いました。

 そうして、念願が叶い、ある年の暮れ、金刀比羅宮の麓の参道に『灸まん本舗石段や本店』を構えることができました。

 あれから幾星霜、瀬戸大橋の開通、また四国を縦横に結ぶ高速道路の開通などで四国が脚光を浴びました。

 しかしブームは静かに去っていきました。

 時代時代の流れで儚く消えていく商品ではなく、お客様に長く愛され、作り手も誇りを持てる商品。いつの世も生き残っていくものこそが名物だと思っています。

 その昔、和田邦坊先生に厳しく言われた事があります。

 「私の言った通りにする」という約束事です。

 そしてそれは「甘くない菓子を作りなさい」でした。

 この言葉は心に深く刻まれ、今も私の菓子作りの永遠のテーマであります。

 香川県菓子工業組合理事・位野木正