各地の菓子店探訪
福島県菓子店の投稿

生涯現役で和菓子づくり

東日本大震災津波被害を乗り越えて

05面福島(直し) 父がいわき市で和菓子店を営んでいたことから、私は、その2代目となるべく、高校卒業後に上京し、都内の和生菓子専門店に住み込みで修行に入りました。その間、自分の和菓子職人としての資質があるかどうかを試すため、戦後初めての開催された菓子コンクール「全日本菓子協会 立太子礼記念東和会工芸審査展」に参加したところ、多くの出品の中から、菓子づくりの修行に入って間もない私の作品が「有効賞」を受賞することができました。それをきっかけに、菓子職人の人脈の輪も広がり、気がつくと、和菓子づくりに没頭する自分がいました。

 上京して約4年、父の他界により、2代目として店を継ぐために、いわき市に戻りました。当時は、戦後の混乱で、菓子の原材料の確保が難しく、東京といわきを往復しながら何とか原材料を確保し、店の経営を行いました。

 昭和50年、洋菓子専門店をオープンし、お客様とお菓子を愛するという意味でフランス語の「アムール」と命名しました。

 以後、平穏な日々を過ごす中、平成23年3月11日、東日本大震災が発生しました。津波警報が鳴り響き、店舗の2階にあるレストランに客・従業員・地域の方々と一緒に避難し、状況が落ち着くのを待ってから、できたばかりのお菓子を地域の避難所となっていた四倉高校に届け、不安を抱えて過ごしていた避難住民の方々に喜んでいただきました。

 しかし、押し寄せる津波は1mを超え、店舗の1階部分が完全に水没し、和菓子をつくるための機械も故障で使えなくなったため、長期の休業を余儀なくされました。

 その間、常連のお客様からは、店の復活の声が多数寄せられたこともあり、私には廃業という選択肢はなく、本店再開、さらに新たに支店オープンに向けて、80歳を超える年齢も考えず動き出しました。

 おかげさまで、お客様や関係機関のご指導・ご支援もいただきながら、平成26年8月に支店、さらには平成27年9月に本店のオープンにこぎつけ、多くのお客様にご来店いただいております。

 これからの私に残された人生は、おいしいお菓子づくりに捧げ、お客様がお菓子を食べて笑顔になるように、御菓子への強いこだわりと探究心をもちながら、更に精進してまいりたいと考えております。

 福島県菓子工業組合顧問・水口忠好