大分県菓子店

2016.02.16

130年超の老舗讃州堂(さんしゅうどう)

先人への感謝を忘れず自分流に

6代目の末光弘太朗氏 源泉数、湧出量ともに日本一を誇る温泉都市・別府の高速ICから程近い鶴見町で日々菓子づくりに励む末光弘太朗氏は29歳とまだ若いが、2年前に130年以上続く老舗和菓子店 讃州堂を受け継いだ6代目当主である。

 幼い頃から店舗2階の自宅で生活をしていた弘太朗氏は、家族の働く姿を見て育ったため自然と「いずれは自分も家業を継ぐ」と考えるようになり進路も迷うことなく、高校卒業後は東京製菓学校で菓子製造の基礎を学び、神奈川県の和菓子店で修業した後、別府に戻った。それからは父親であり5代目の末光昌弘氏のもとで歴史ある讃州堂の菓子を学び27歳の時に会社を任された。

 表千家御用達の讃州堂は華美なものや奇抜なものに走らず、本来の味とかたちを丁寧につくり上げてゆく誠実な姿勢を崩さずに商品を提供しているが、若い人達にもっと和菓子を食べてもらいたいと考える弘太朗氏は商品開発の上で、どうしても洋テイストを取り入れることが多くなるため、和菓子の基本である餡や素材の良さを損なうことなく最大限に活かせるよう心掛けている。

 自身が考案した、パンケーキのようにやわらかい食感のどら焼きや和三盆糖を使用したプリンも、その特徴や素材に特化するだけでなく、総合的にバランスのよい商品に仕上がるよう原材料を厳選し何度も試作を重ねてつくり上げた。これら弘太朗氏の代表作「ふわぁっどら」と「和三盆糖ぷりん」は今や小さな子供からお年寄りまで幅広い年齢層から支持を得て、歴代の当主が築いてきた讃州堂の歴史に厚みを増している。

 讃州堂の歴史を紐解くと初代・浜野イシさんが新天地を求め四国から別府の町に移り住んだことが創り。当時の別府は明治初期に港を開き大阪との航路を結んだことから主に瀬戸内各県からたくさんの外客を集め、湯治場から温泉町に発展する過程で一攫千金を夢見た大勢の人達が海を渡り移住したため町は多くの人で活気に満ち溢れていた。その中でイシさんは「羽二重餅」の製造販売を商いとし、故郷の讃州(現在の香川県)から名をとった讃州堂は明治13年の創業以来、別府の発展とともに大きく成長したのである。

 店の基本は「創業者の羽二重餅」と言うように、求肥を使った菓子は特に評判が良く、中でも先代の昌弘氏がいち早く研究を重ね商品化させた「いちご大福」は新鮮な苺と程よい甘さの白餡を雪平生地で包んでおり「サクっとした食感でジューシー」と大人気の看板商品になっている。

 このように当主が代々受け継がれてきた伝統の和菓子製法に磨きをかけ、時代の変化に柔軟に対応することで進化を重ねてきた讃州堂だが、弘太朗氏はまだ意に満たないようで「時代の先を見るだけではなく、馴染みのある和菓子の中にも手掛けていない品はまだあるので基本を忘れることなく一品ずつ我が物とし、もっとお客様のニーズに対応できるよう品揃えを充実したい」と意欲をかきたてていた。

 大分県菓子工業組合事務局長・早瀬大雄