各地の菓子店探訪,大分県菓子店

2015.08.17

思い出のパンを守りたい

竹田の地に灯した干潟ベーカリーの火

干潟ベーカリー 大分県の南西部に位置する竹田市は、音楽家の瀧廉太郎氏が代表曲「荒城の月」の構想を練ったことで知られる岡城阯を有し、桜の季節には盛大な大名行列を行うなど歴史と文化を育む自然豊かな城下町である。

 そんな情緒を感じさせる街並みの一画で干潟ベーカリーを営む干潟スミ子氏は81歳になり後継者問題を抱えながら想いを語った。

 干潟ベーカリーは、今は亡き干潟琢郎氏が大阪のパン工場で修業した後、地元で病院を経営する知人から病院食を提供してほしいと依頼があったことで、昭和27年にパン製造からスタートした。

 その後、近所で洋裁学校を運営していたスミ子氏が仕事を通じて琢郎氏と知り合い、一路順風に結婚すると、スミ子氏は服装学院を続けながらパンの仕事をサポートした。

 経営も安定し昭和39年に有限会社干潟ベーカリーとして設立登記してからは順調に業績を上げていき、学校給食の指定を受けると毎朝が戦いのように忙しくなり、ピーク時は従業員を15人雇用するまでになった。後に児童全員に配付する箱入りのクリスマスケーキを製造依頼されるなど、洋菓子が注目されるようになると、パン製造後のオーブンの余熱を有効活用するためにシンプルな焼き菓子等を製造するようになり、これを機に県菓子工業組合に加入した。

 平成に入っても学校給食を中心に地域密着型の仕事を行う干潟ベーカリーだったが、琢郎氏が突然癌に侵され闘病生活を余儀なくされると、実質スミ子氏が運営から製造まで全てに携わるようになり、服装学院の運営と主婦業、看病に奮闘する毎日が続いた。

 残念ながら琢郎氏は平成16年5月に亡くなり、そのまま会社を引き継ぐこととなったスミ子氏だが、現状維持に甘んじるではなく、専門家指導の下、竹田銘菓「玉子人形」を開発し、郵便局のチラシ販売を利用するなど、色々と新しいことにチャレンジしながら女手一つで10年以上会社を守っている。

 しかしスミ子氏も80歳を超え、体力的に製造作業がきつくなっていることと、今後は少子化と競合企業の出現で学校給食があてに出来なくなることから、業務内容の見直しを行い、固定客のついている食パン、フランスパン、銘菓玉子人形を中心に製造販売を行い、会社をスリム化することで維持をと考えたが、工場長をはじめ従業員から跡を継ぐ者は現れず、実の息子3人は、それぞれ県外の企業等で働いているので期待はせず、現在は一般に後継者を募集しているとのこと。

 スミ子氏だけでなく琢郎氏が創業し竹田の地に灯した干潟ベーカリーの火をなんとか消さず後世に残して欲しいと願う人は少なくなく、隣接する服装学院に永く勤める従業員の朝倉さんも後継者が現れることを期待しつつ毎日スミ子氏とポジティブに働いている。

 大分県菓子工業組合事務局長・早瀬大雄