滋賀県菓子店

2015.06.15

滋賀県高島市特産 ガリバー最中

ガリバー最中 かつて大溝と呼ばれた高島市、その城下町に店を構える田口製菓舗は、江戸初期から戦後まで続いた老舗和菓子屋「山惣」からのれん分けをし、昭和21年に創業されました。お店の看板商品はこの「ガリバー最中」。なぜガリバーの名前が付くのかというと、旧高島町が平成4年に、奥高島青少年旅行村という観光施設名をガリバー青少年旅行村に変更したのをきっかけに、ガリバーを軸にした町興しの運動が始まり、それを機に周辺では数多くのガリバー事業が展開されていました。

 これにちなみ、先代店主が発案され、1年の試行錯誤の末に商品化されたものが「ガリバー最中」です。最中種には地元滋賀県特産の滋賀羽二重餅粉を100%使用しており、中餡は北海道産小豆の粒餡ですが、こし餡と粒餡との中間位に仕上げられ、粒の隠れ具合が丁度良く作られています。また、最中専用のレトロなパッケージも観光客や地元リピーターからの人気を呼んでいます。

 そんな「ガリバー最中」ですが発案当時から現在に至るまで、町民の和菓子離れやお菓子の洋菓子化、また、市町村合併に伴いガリバー町興しの衰退などといった、様々な時代の変化の中で多くの壁にぶつかり続けて来ましたが、配合、製法、原材料等一切変えることなく作り続けられています。

 そして現在、この「ガリバー最中」を受け継ぐのは3代目の田口守さんです。守さんは地元安曇川高校卒業後、愛知県名古屋市の菓宗庵で修行を行いながら、夜は愛知県菓子職業訓練高校の夜間部に通い、厳しい修行時代を歩まれました。修行先の菓宗庵では、主に焼き菓子を中心に、カステラや洋菓子といった幅広い分野の製造を任されておられました。そこでの経験は現在の自店舗での菓子製造にも多く役立てられています。修行を始め5年半が経った頃、御両親が体調を崩されたため田口製菓舗へと戻られ、それからはご両親と二人三脚で製造販売をされてきました。その後平成17年にお店を受け継がれ現在に至ります。

 少人数での製造販売作業にもかかわらず、守さんは組合活動に積極的に参加され、滋賀県菓子工業組合青年部発足以来のメンバーです。発足当時から現在も青年部に携わり、多くの事業をこなしてきた守さんは「全国的にも組合の衰退が著しく活動が厳しい状況ではあるが、今自分達に出来る事を考えれば、このような時代でしか出来ない事が必ずあるはずである。それらを目標にし、これからの青年部がこの難題を切り抜けていく為なら、私は有るだけの力を尽くします」と語って下さいました。

 滋賀県菓子工業組合青年部長・植田真之介